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ダフ・マッケイガン27歳〜復活の狼煙を上げたガンズ、アルコールとコカインに溺れる日々、ツアー初日の熱狂

2019.01.26

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ガンズ・アンド・ローゼスの結成時~黄金期を支えたベーシストとして知られる彼。
190cmの長身で弾く存在感のあるエネルギッシュなベースは、多くのロックファンの心を掴んできた。
ガンズ脱退後はLODED(ローデッド)、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーなどのバンドで精力的に活動。
現在もジャンルや世代を超えて若者達に影響を与え続けている彼は、27歳の頃どんな日々を送っていたのだろう。


──1991年、ガンズ・アンド・ローゼズは4年ぶりのスタジオアルバム『Use Your Illusion I』と『Use Your Illusion II』を2作同時にリリースする。
発売当初は世界中のチャートで1位2位を独占し、現在までに累計約3000万枚を売り上げている。
当時ちょうど27歳を迎えようとしていた彼は、バンドの状況をこんな風に振り返っている。

「1990年秋、俺達は1年以上ぶりにギグをブッキングした。長かったよ…。まず、1991年の1月に“ロック・イン・リオ”で2日間トリを務めることになった。それまでの2年間で俺達がプレイしたのは6回以下。しかも4年近くもまともなアルバムを出してなかった。」


当時彼は、酒とコカインに溺れる日々を送っていた。
新作アルバム『Use Your Illusion I』『Use Your Illusion II』をレコーディングした直後、バンドはリオ行きのジェット機に搭乗した。

「俺がそれまで乗った中で、最長のフライトだったよ。以前からずっと閉所恐怖症だった俺は、パニックを鎮めるために客室乗務員から大量のアルコールを確保しようとするのに必死だった。飛行機から降りた俺達を8千人のファンが空港ゲートで迎えてくれた。“この人達はここで何をしてるんだ?なぜ叫んでいるんだ?”充血した目でよろめきながら、まるで火星人にでもなったような気分だったよ。とにかく圧倒されたよ。」




リオでのライブは、バンドの歴史の新たな段階の輝かしい始まりを刻むはずだったが…代わりにガンズのライブが“派手なショー”と化して、各メンバーは個々の役割をただ演じているだけのものになったという。
その後、1991年5月までにガンズは3回のウォームアップライブをやることとなる。
いよいよ始まるワールドツアーに向けて、巨大なステージセットが製作され、照明、モニター、フルPA、クルー総動員が準備を整えていた。
ウィスコンシン州アルパイン・ヴァレー・アンフィシアターでツアー初日、観客の期待感には圧倒的なものがあったという。
SEに『ゴッドファザーのテーマ曲』が流れると、客席からは地鳴りのような歓声が巻き起こった。

「さぁ!行くぞ!!!俺達は原始的かつ動物的なものを象徴している気がした。俺は情熱と怒りを感じていた。人生のすべての騒音が遠のいていったんだ。ステージに飛び出して行って、俺は“It’s So Easy”の最初のベース音を弾いた。何万という人間が完璧に我を忘れて、もの凄い騒ぎになった!その歓声はバンドの音よりも大きかったよ!」




ツアーが進むにつれて、彼は頻繁にパニック発作を起こすようになる。
アルコール中の糖分が発作を悪化させたし、コカインもまた然りだった。
同年秋、バンドからギタリストのイジー・ストラドリンが脱退してゆく。

「当時の俺は、酒をさらに呑むことが発作と闘う唯一の手段だと思っていた。ステージでは超越した瞬間があったよ。グルーヴにハマって3時間のセットを行なった日も何回かあった。大幅に遅れてライブを始めること。アクセルが途中でステージを降りてしまうこと。俺の飲み過ぎ、コカインのやり過ぎに文句をいう奴は誰もいなかった。俺達はその“やり方”が好きになっていたんだ。各人専用のボディーガードがいたし、各人専用のリムジンも用意されていた。ライブの行きも帰りも別々だったし、楽屋も別々だった。バンドのメンバーが一緒になるのはステージ上だけだったよ。」



<引用元・参考文献『ダフ・マッケイガン自伝』ダフ・マッケイガン(著)川原真理子(翻訳)/ DU BOOKS>


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