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マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ〜初挑戦となった映画の稽古場での出会い、本当の意味でのソロキャリアのスタート

2019.09.07

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1977年、当時19歳だったマイケル・ジャクソンに大きな転機が訪れる。
ミュージカル映画『The Wiz(ウィズ)』への出演が決ったのだ。
俳優として初仕事となったこの映画出演は、その後の映像作品、ダンスパフォーマンスにおいて重要な意味を持つこととなる。
当時ジャクソン5(ジャクソンズ)として活動していた彼にとって、それは特別な意味を持つ挑戦だった。

「モータウンがブロードウェイミュージカル“ウィズ”の映画化権を買ったのは、ちょうど僕らがモータウンを辞めようとしていた頃だった。その作品は以前から僕が大好きだった“オズの魔法使い”を現代風にし、物語の舞台を黒人世界に移し変えたものでした。」


それはモータウンがダイアナ・ロスの主演映画として企画されたものだった。
当時モータウンからの移籍騒動でゴタゴタしていた最中だったので、ベリー・ゴーディーはマイケルの出演を望んではいなかったという。
しかし、マイケルにとって特別な友人だったダイアナ・ロスが共演を強く望み、さらには監督シドニー・ルメットが彼に直接出演を持ちかけてきたのだ。

「僕はかかし役のオーディションを受けました。そしてその役柄に向けて、本読みに、踊りにと、一生懸命取り組みました。」



映画『The Wiz(ウィズ)』の撮影・制作を通じてマイケルは様々なことを学んだという。
そして、映画のリハーサル現場で運命的な出会いを果たすこととなる。
この時期マイケルは自分が進むべき道を模索していた。
19歳のトップアーティストとして活躍して舞台裏で、彼は将来の不安やストレスを抱えていたのだ。

「ある日、僕らキャストはブルックリンのスタジオでリハーサルをしていました。あるシーンの稽古をしていると、演出の方が僕に紙を一枚差し出して読むように指示を出ました。」


その紙には本からの引用文が綴られており、文末に著者名として“Socrates”と書いてあった。
マイケルは、その文を読み上げ、最後に「ソークレイツ」と発音して台詞をしめた。
彼はそれまでソクラテスの本は読んだことはあっても、その名前を口にしたことはなかったのだ。
スタジオ内になんとも言えない沈黙が続いたあと…キャストではない誰かがマイケルの耳元で「ソクラティース」と囁いた。

「名前を間違って発音しちゃうなんて、みっともなく恥ずかしいと思っていました。僕を助けてくれたその男性に感謝し微笑みました。」


次の瞬間、その男はマイケルに手を差し出し、にこやかに握手を求めてきた。

「クインシー・ジョーンズだ。この映画の音楽を担当している。」


その翌年、映画撮影を終えたマイケルはソロアルバムの制作準備に取り掛かるためにロサンゼルスにいた。
ある席でマイケルのことを以前から可愛がっていたサミー・デイヴィス・ジュニアが、同席していたクインシーをあらためて紹介した。

「この子はパンが人類の食卓に乗ったとき以来の凄いやつになるよ!」


マイケルはクインシーにこんなお願いをした。

「新しいソロアルバムを作ろうとしています。誰か良いプロデューサーを紹介していただけないでしょうか?」


二人はしばらくの間、音楽について語り合い、プロデューサーにふさわしい候補を一緒に考えた。
クインシーは何度か咳払いをしたり、口ごもったりしながら…最後に一言。

「私じゃどうかな?」


この瞬間からマイケルにとって“黄金の10年間”の幕が切って落とされたのだ。
二人は早速アルバム『Off The Wall』のレコーディングプランを練り始める。

「僕はソロ名義で制作する新しいアルバムを、ジャクソンズの前作“Destiny(今夜はブギーナイト)”と同じようなサウンドにしたくはありませんでした。だから、音作りに関して先入観を持たずに、新たな試みに参加してくれるような外部プロデューサーと組みたかったのです。いい耳を持っていて、曲を選ぶのを助けてくれるような人を必要としていました。それがクインシーだったんです。」


クインシーはマイケルの期待に応え、彼の新たな魅力を引き出したアルバムを完成させた。
ソロ名義となったマイケルの5thアルバム『Off The Wall』は、1979年にリリースされ大きな注目を集める。
それまでのモータウンでレコーディングされていたマイケルのアルバムは、制作サイドが主導して作られたものだった。
現場においてもマイケルは歌を歌うだけの存在だったが、本作ではクインシーの指揮の下、マイケルのアイデアも盛り込まれることとなった。
ファンの間では、このアルバムこそが本当の意味での“マイケルの1stアルバム”という人もいる。
先行シングルとして発表された 「Don’t Stop ‘Til You Get Enough(今夜はドント・ストップ)」では、ソロキャリアにおいて初めてマイケル自身が作詞作曲を手がけている。


「この曲は僕にとって初めての自作曲であり、僕に大きな自信とチャンスを与えてくれました。チャートを駆け上り1位を獲得し、僕に初めてグラミー賞をもたらしてくれたのです。それからクインシーは僕を信頼して、一人でスタジオに入るように勧めてくれました。そうしたことで僕は音楽家としてさらに成長できたのです。」


その後、二人はポップミュージック史上最も売れたアルバム『Thriller』(1982年)や、マイケルの人気をピークに押し上げた代表作『Bad』(1987年)を生み出してゆく…


引用元・参考文献『ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝』マイケル・ジャクソン(著)田中康夫 (翻訳)/河出書房新社>

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