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PANTA27歳〜頭脳警察の解散後のソロワーク、そして新バンドPANTA&HALの始動

2019.09.21

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1975年12月31日、PANTAは頭脳警察を解散させた。
解散の約4ヵ月後には1tsソロアルバム『PANTAX’S WORLD』(1976年4月5日)をリリース。
それはPANTAが所属していたビクターの新レーベル“フライング・ドッグ”からの第1弾として大きな注目を集めていた。
PANTAが26 歳の時に放った同作には、当時ソロデビュー直前の竹中“チャー”尚人、ウエスト・ロード・ブルース・バンドの塩次伸二、元サウス・トゥ・サウスの井上茂、元フラワー・トラヴェリン・バンドの和田ジョージ、元スモーキー・メディスンの佐藤準、ジョン山崎、妹尾隆一郎、金子マリなど日本ロック界を代表するミュージシャンが参加した。
同年、彼はスージー・クアトロと共に全国ツアーを決行している。

「ウドーから話が来て、ビクターと相談してやることになったんだ。前座じゃなくて“第一部”ってことでね。彼女たちと一緒に車で回ったよ。本当に面白かった。寂びれたドライヴインに入って食事したり、そこでジュークボックスから流れる音楽に合わせてみんなで踊ったりしてね。」


そのツアーは全国23カ所(29回ステージ)にも及ぶものだった。
各地ホールクラスの会場が満席となり、東京公演(中野サンプラザ)では昼・夜と2ステージが行われたという。
その翌年、27歳を迎えた彼は2ndソロアルバム『走れ熱いなら』(1977年3月25日)をリリース。
山岸潤史(元ソー・バット・レヴュー)、国府輝幸(元ソー・バット・レヴュー)、ロミー木下、鳴瀬喜博、ジョニー吉長という手練れのミュージシャン達によるレコーディングで、“パンタックス・ホーンズ”と名付けられたホーンセクションを導入したシンプルでタイトなサウンドを披露した。

「バックバンドじゃない“バンドの音”が欲しくなってきちゃってね。自分自身もバンドの一員である、そういう形のものを作りたいと思ったんだ。」


同年、彼は新バンドPANTA&HALを結成する。
このバンド名の“HAL”は1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』に登場するコンピュータの名前からとったものだという。

PANTA/Vocal
佐藤宣彦/Guitar
今剛/Guitar
村上元二/Bass
浜田文夫/Drums


「このメンバーで2年間、リハーサルとライブだけやったんだ。とにかくバンドとして音楽性を固めたかった。ずいぶんミーティングも重ねたよ。頭脳警察はある意味じゃ“運動会”みたいだったけど、PANTA&HALは音楽的要素を半分くらいは入れよう!って(笑)」


彼らはすぐにレコードデビューはせずにライヴを重ねていった。
そのステージで頭脳警察の曲は一切演奏されなかったという。
長い時間をかけてバンドとしての結束を固めていき…待望の1stアルバムをレコーディングするにあたり、プロデューサーとして白羽の矢がたったのが坂本龍一とムーンライダースの鈴木慶一だった。
坂本龍一は打ち合わせ段階で、政治的メッセージの強いアルバムコンセプトの“オイルロード(中東からの石油輸入航路)”というテーマに懸念を示して降板する。
結果、鈴木慶一によるサウンドプロデュースの下、アルバム制作がスタートした。

「慶一にとってはハードな仕事だったと思う。彼、途中で胃潰瘍になっちゃったんだから。HALは気難しいバンドだったからね。それでも彼はよくやってくれたよ。バンドのスタイルを見極めた上で方向性を示してくれた。自分のアレンジやアイディアを一方的に押し付けてくるんじゃなくて、俺たちにとって最善のサウンドを引き出してくれたんだ。」


当時にしては破格のレコーディング費用と日数をかけて完成したアルバム『マラッカ』は1979年3月25日にリリースされた。
疾走感のあるフュージョン系のサウンドにオイルショック後の世界情勢を歌った歌詞を絡めたタイトルナンバーや、当時にしては斬新だった日本語によるレゲエナンバー「つれなのふりや」、そしてマーク・ボランへの哀悼の念が込められた「極楽鳥」など全8曲を収録したそのアルバムは、日本のロック史上に残る名盤として今も輝きを放ち続けている…




<引用元・参考文献『PANTA自伝 1 歴史からとびだせ』PANTA (著)広瀬陽一(著)/ K&Bパブリッシャーズ>


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