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ヴィンス・ニール27歳〜ロックスターを体現した暮らしぶり、モトリークルーのメンバーが酒とドラッグを断とうとした時期

2019.09.28

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1987年5月、モトリー・クルーは4thアルバム『Girls,Girls,Girls』を発表し、全米チャートで最高2位を記録した。
同作を引っさげたツアーのサポートは6月からホワイトスネイク、11月からはガンズ・アンド・ローゼズが務めた。
当時26歳だったヴィンス・ニールは、酒、ドラッグ、喧嘩などトラブルを繰り返す“問題児”としてロックシーンにその悪名を轟かせていた。
同年の12月22日、バンドのリーダー兼ベーシストのニッキー・シックスが、ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュやラットのロビン・クロスビーらとのドラッグパーティーの途中、過剰摂取により心臓が一時停止となる。

「最初はニッキーが死んだ!と電話で聞かされて動揺したよ。ラジオなんかでも奴が死んだニュースが流れていたんだから。だけど救急隊の中にモトリー・クルーのファンがいて、ニッキーの心臓のエンジンを動かしたっていう報せが入ったんだ。」


12月24日、それはクリスマスイブの朝だった。
モトリー・クルーのメンバーたちは緊急ミーティングの招集を受けて、当時のマネージャー、ドク・マギー(スコーピオンズやボン・ジョヴィも手掛けた敏腕マネージャー)の自宅のリビングルームに集まっていた。
そこで彼らは『Girls,Girls,Girls』のヨーロッパツアーの中止を伝えられる。
ツアーキャンセルに伴うプロモーターなどへの損害賠償金は、バンドが支払うこととなった。
ドク・マギーは、その席でバンドメンバーにこう切り出した。

「次のアルバムのレコーディングを始める前に生活態度を改めて、ドラッグや酒と手を切らない限り、私はマネージメントから手を引く。」


その“通告”から2ヶ月後の1988年2月8日、ヴィンス・ニールは27歳を迎えた。
彼らのもとには専門のカウンセラーも付いた。
その男の名はボブ・ティモンズといった。
元ヘルス・エンジェルスのメンバーで、過去に何人もの命を奪った罪で30年間刑務所に服役していた人物だった。
当時、アルコールやドラッグ問題を抱えたエアロスミスやメタリカも担当して、カウンセリングを行っていたという。

「他のメンバーたちと比べて俺はそういう状態じゃなかったはずだ。朝の10時から酒を口にすることなんかなかったし、ライブが終わるまでは飲んでなかった。」


同年の4月30日、彼は二人目の妻となるシャーリーズ・ルッデルと結婚式を挙げた。
挙式の会場となったのはロサンゼルスの高級住宅街の中心にあるホテル・ベル・エアーだった。
1946年に建てられた地中海風のそのホテルは、過去エリザベス・テイラーが最初の夫とハネムーンを過ごし、マリリン・モンローが長期滞在していたりしていた名所としても知られている。
当時の妻シャーリーズは、その日のことを鮮明に憶えているという。

「私たちは前の晩からそのホテルに泊まって過ごしていたんだけど、ヴィンスは酷く酔っ払ってしまい…結婚式では凄い二日酔い状態だったの。私はカンカンになって怒ったわ。恋に落ちた頃は、彼の状態がいかに酷いか全く知らなかった。彼みたいに豹変する人は見たことがなかったわ。」


当時の彼はアルコールを口にすると、まるでスイッチを切り替えるみたいに言動や態度が変わっていったという。
シャーリーズの証言では、グラス4杯までは「普通の人」、6杯あたりから「泥酔状態」、12杯までいくと…誰彼かまわず喧嘩をふっかけて、人を殴りつけたりしていた。

「酒に酔うと、頭がどうかしてるんじゃないかという感じになっていたわ。しかも自分では全く憶えてないんだから余計に質が悪い。」


当時、彼には口癖のように何度も繰り返していた言葉があった。

「人は俺から何かを手に入れよいうとするだけさ。俺には友達もいないんだ。みんな俺のことなんて好きじゃないんだ。」


その頃の彼は、まさにロックスターを体現したような暮らしぶりをしていた。
大きな家に住み、美しい妻を手に入れ、巨大なガレージには35台もの車を所有していたという。

「ニューヨークの立体駐車場のようなシステムで車を収納していたよ。フェラーリの上にはフェラーリ、ランボルギーニの上にはランボルギーニってね。まさに金持ち有名人のライフスタイルだったよ。」


1989年の初頭、ニッキー・シックスの心肺停止事件から一年後…モトリー・クルーは新作アルバムの制作をスタートさせる。
カナダのバンクーバーにあるリトルマウンテンスタジオにバイクを持ち込んで行われたそのレコーディングには約6000万円がかけられ、8ヶ月の長期滞在となったという。
1989年9月1日にリリースされた彼らの5thアルバム『Dr.Feelgood』は、全米チャートを一気に駆け上り1位に輝いた。

「レコーディング中、俺たちは酒にもドラッグにも手を出さなかった。夜な夜な売春婦たちは遊びに来たけどな(笑)隣のスタジオではエアロスミスがカムバックアルバム“PUNP“をレコーディングしていたよ!スティーヴン・タイラーをはじめ、チープ・トリックのロビン・ザンダーとリック・ニールセン、ブライアン・アダムス、ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズ、スキッド・ロウのメンバー達がバック・コーラスで参加してくれたんだ。」




<引用元・参考文献『ヴィンス・ニール自伝』ヴィンス・ニール (著)マイク・セイジャー (著)迫田はつみ(翻訳)/シンコーミュージック・エンタテイメント>

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