Extra便

「パイド・パイパー・ハウス」はなぜ伝説のレコード・ショップとなったのか?

南青山にあった伝説のレコード・ショップ「パイド・パイパー・ハウス」は、1975年11月にオープンしてから足かけ14年間の営業で1989年6月に閉店した。 日本で…

PICK UPTAP the NEXT

ポリキャット──日本のAORに影響を受けた、タイの人気シンセ・ポップ・バンド

ポリキャット(Polycat)は、タイ バンコクを拠点に活動するポップ・バンド。ネット上を回遊しているうちに彼らの音楽と偶然出会い、一気に耳を奪われた。 ポリキ…

PICK UP街の歌

駅〜今はなき東急東横線旧渋谷駅が舞台となった竹内まりやの名曲

見覚えのある レインコート 黄昏の駅で 胸が震えた はやい足どり まぎれもなく 昔愛してた あの人なのね 懐かしさの一歩手前で こみあげる 苦い思い出に 言葉が…

TAP the STORY

27歳になった大瀧詠一を待っていたのは、地獄の責苦のようなハード・スケジュールだった

1975年6月9日にスタートした大瀧詠一のDJ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ(GO! GO! NIAGARA)』は、1978年9月25日まではラジオ関東で、197…

TAP the DAY

プロコル・ハルムの名曲「青い影」にまつわるいくつかの逸話〜

ビートルズが伝説の名盤『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を発表した1967年、同じイギリスで一曲の名曲が…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。 そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。 最初の1行の…

TAP the SONG

「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

TAP the NEWS

漣健児の偉業〜日本語ポップスの源流を作った男、その訳詞スタイルとは!?〜

1960年代、当時のアメリカンポップスをリアルタイムで400曲以上も日本語化した男がいた。 彼の名は漣健児。 日本のニューミュージック界を牽引してきたミュージシ…

TAP the DAY

山下達郎と浜田省吾が同じ野音のステージに立った、1975年の「サマーロックカーニバル」

1975年の7月26日、東京・日比谷野外音楽堂では、「サマーロックカーニバル」というロック・コンサートが開かれた。 出演したのはシュガー・ベイブ、サンハウス、愛…

TAP the DAY

尾崎豊が生涯たった一度のテレビ出演で歌った「太陽の破片」

1983年にNHK-FMで夜10時から放送していた『サウンドストリート』は、月曜日:佐野元春、火曜日:坂本龍一、水曜日:甲斐よしひろ、木曜日:山下達郎、金曜日が…

TOKYO音楽酒場

【21軒目】下北沢・Bar&Records Delmonico’s──約1万枚のアナログ盤に酔えるバー

いい音楽が流れる、こだわりの酒場を紹介していく連載「TOKYO音楽酒場」。今回はアナログレコードの豊富なセレクションを楽しみながら美味しいお酒が飲める、下北沢の…

TAP the SONG

テレビCMで「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と出会った竹内まりやの衝撃

竹内まりやがビートルズと出会って衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMからだった。 一緒にテレビを見ていた兄に、「今のは何?」とたずねると「ビート…

Extra便

三木鶏郎の弟子が雛郎?それならばと卵郎を名乗った大瀧詠一

1977年にサイダー・シリーズを柱とするCMソングのアルバム、『ナイアガラCMスペシャルVol.1』を出した時のライナーノーツで、大瀧詠一は自らを三木卵郎と名乗…

TAP the SONG

山下達郎という職人の仕事から生まれた曲、「クリスマス・イブ」

妥協しない本物の職人の仕事は、積み重ねられていく日常のなかで使われることに価値がある。 卓越した技と美を具現化した作品は、後世になって発見されることで一気に評価…

TAP the DAY

サム・クックの素晴らしさを発見した日本のミュージシャンたち

アメリカのローリングストーン誌で2014年に180人の著名人の投票により選出された「偉大なシンガー100人」で、サム・クックはジョン・レノンやボブ・ディランより…

Extra便

竹内まりやが「一緒に歌う相手は大瀧さんしかいない」と決めていたラブソング

「Something Stupid(恋のひとこと)」は1967年にフランク・シナトラと娘のナンシー・シナトラが歌ってヒットし、全米ナンバーワンになったデュエット…

Extra便

次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

大瀧詠一は1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイアガ…

夢で逢えたら

TAP the SONG

大瀧詠一の「夢で逢えたら」が、日本のスタンダードに至るまでの道

数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味で、「夢で逢えたら」は代表曲にあげられる。 この歌が誕生したのは、…

Extra便

大滝詠一の名作「サイダー’73」から始まった、CM音楽の新時代

1970年代にCM音楽で音楽シーンに新風を吹き込んだのは、日本におけるコマーシャルソングの祖と言える三木鶏郎の門下生で、CM音楽のプロデューサーとして活躍してい…

TAP the DAY

はっぴいえんど解散と名づけた、ファミリーによる旅立ちコンサート

「はっぴいえんど」と「風街ろまん」、それに「HAPPY END」という3枚のアルバムを発表したはっぴいえんどは、すでに1972年いっぱいで実質的には解散していた…

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