「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

街の歌

駅〜今はなき東急東横線旧渋谷駅が舞台となった竹内まりやの名曲

この楽曲は1986年に竹内まりやが中森明菜のアルバム『CRIMSON』への提供曲として書き下ろしたもの。 翌1987年に自身の16枚目のシングルとしてリリースし…

TAP the DAY

”はっぴいえんど解散”と銘打って行われたファミリーによる旅立ちコンサート

写真:井出情児 「はっぴいえんど」と「風街ろまん」、それに「HAPPY END」という3枚のアルバムを発表したはっぴいえんどは、すでに1972年いっぱいで実質的…

Extra便

追悼・遠藤ミチロウ~稀代の表現者を悼み、語り継ぐ人たちの声と言葉と歌①

【遠藤ミチロウオフィスより】 遠藤ミチロウは、昨年より膵臓癌を患い闘病を続けてまいりましたが、2019年4月25日に都内の病院にて永眠いたしました。 葬儀は本人…

TOKYO音楽酒場

【21軒目】下北沢・Bar&Records Delmonico’s──約1万枚のアナログ盤に酔えるバー

いい音楽が流れる、こだわりの酒場を紹介していく連載「TOKYO音楽酒場」。今回はアナログレコードの豊富なセレクションを楽しみながら美味しいお酒が飲める、下北沢の…

Extra便

追悼・寺尾次郎(1)~音楽から映画へ道に進み、字幕翻訳家になったシュガー・ベイブのベーシスト

小学生の頃から映画が好きだった寺尾次郎は、よく叔母さんに東宝の怪獣映画と青春ものと外国映画の3本立てに連れて行ってもらったそうだ。 音楽活動を始めていた大学時代…

Extra便

追悼・大森昭男~「三木鶏郎の弟子が三木雛郎?それならば…」と三木卵郎を名乗った大瀧詠一

大瀧詠一が自らを三木卵郎と名乗っていたのは1977年にサイダー・シリーズを柱とするCMソングでまとめた異色のアルバム、『ナイアガラCMスペシャルVol.1』を出…

Extra便

追悼・大森昭男~次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

大瀧詠一は1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイアガ…

TAP the NEXT

ポリキャット──日本のAORに影響を受けた、タイの人気シンセ・ポップ・バンド

ポリキャット(Polycat)は、タイ バンコクを拠点に活動するポップ・バンド。ネット上を回遊しているうちに彼らの音楽と偶然出会い、一気に耳を奪われた。 ポリキ…

TAP the NEWS

漣健児の偉業〜日本語ポップスの源流を作った男、その訳詞スタイルとは!?

1960年代、当時のアメリカンポップスをリアルタイムで400曲以上も日本語化した男がいた。 彼の名は漣健児。 日本のニューミュージック界を牽引してきたミュージシ…

TAP the DAY

山下達郎と浜田省吾が同じ野音のステージに立った、1975年の「サマーロックカーニバル」

1975年の7月26日、東京・日比谷野外音楽堂では、「サマーロックカーニバル」というロック・コンサートが開かれた。 出演したのはシュガー・ベイブ、サンハウス、愛…

TAP the SONG

テレビCMで「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と出会った竹内まりやの衝撃

竹内まりやがビートルズと出会って衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMからだった。 一緒にテレビを見ていた兄に、「今のは何?」とたずねると「ビート…

TAP the SONG

山下達郎という職人の仕事から生まれた曲、「クリスマス・イブ」

妥協しない本物の職人の仕事は、積み重ねられていく日常のなかで使われることに価値がある。 卓越した技と美を具現化した作品は、後世になって発見されることで一気に評価…

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