Extra便
寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”②カルメン・マキ「時には母のない子のように」
2015年10月24日、カルメン・マキがNHK-BSプレミアム「ザ・フォーク・ソング~青春のうた」に出演して、「戦争は知らない」と「時には母のない子のように」の…
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2015年10月24日、カルメン・マキがNHK-BSプレミアム「ザ・フォーク・ソング~青春のうた」に出演して、「戦争は知らない」と「時には母のない子のように」の…
TAP the NEWS
生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 19…
TAP the DAY
まず…浅川マキが著書に残した言葉をご紹介します。 この体験をした当時、彼女はまだ29歳だったという。 1971年4月、60歳を迎えたゴスペルの女王マヘリア・ジャ…
TAP the SONG
寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキ…
TAP the NEXT
穏やかな日々流れる この街は これからも変わることなく 変わってゆくでしょう 移ろいゆく景色も 香りも優しく包んでくれるから いつもより顔をあげて この道ゆっく…
Extra便
本サイトのメイン執筆陣としても活躍する、シンガー・ソングライターの佐々木モトアキ。彼が以前に結成していたバンド〈THE HUNDREDS〉でも活動を共にしてきた…
TAP the NEXT
ボーカル/ギターの伊東妙子(ex.DIESEL ANN)と、ベースの篠田智仁(COOL WISE MAN)によるT字路s。胸を鷲掴みにするような伊藤のシャウトと…
Extra便
作詞家の喜多條忠が初めて浅川マキの歌に出会ったのは1968年、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』でのことだ。 まだ学生だった喜多條が『銀巴里』に入ったのはまっ…
TAP the NEWS
前編に引き続き、名曲「暗い日曜日」にまつわるエピソードをご紹介します。 ──1936年2月、ハンガリーのブダペスト市警が靴屋主人ジョセフ・ケラーの死亡現場を調査…
Extra便
早くも折り返し地点が見えてきた2010年代──世界中でさまざまな事件や出来事が起こり、社会情勢は目まぐるしく変わっていき、メディアのあり方も変容してきたこの数年…
TAP the SONG
上方のぼやき漫才の第一人者だった人生幸朗・生恵幸子は、夫婦ならではの息のあったやりとりでヒット曲を話題にしながら、歌詞に突っ込んでは「責任者でてこいっ!」とぼや…
TAP the NEXT
ディーゼル・アンというガレージロック・バンドで活動していたギター/ヴォーカルのイトウタエコと、COOL WISE MANというスカ・バンドで活動するベースの篠田…