「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the STORY

27歳になった大瀧詠一を待っていたのは、地獄の責苦のようなハード・スケジュールだった

1975年6月9日にスタートした大瀧詠一のDJ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ(GO! GO! NIAGARA)』は、1978年9月25日まではラジオ関東で、197…

Extra便

大村憲司のギターからは詩が聴こえる~ロックからブルースへと源流をさかのぼっていった音楽家

音楽史に残る屈指の名ギタリストといわれた大村憲司が、まだ49歳という働き盛りで亡くなったのは1998年11月18日のことだった。 それから20年以上が過ぎた今で…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。 そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。 最初の1行の…

TAP the SONG

追悼・大森昭男~大瀧詠一が自分のポップスで最初の完成品と言った「サイダー’74」が陽の目をみるまでの1年間

大瀧詠一が自ら「大瀧ポップスの最初の完成品です」と自信を持って宣言する作品が誕生したのは、オン・アソシエイツのプロデューサー、大森昭男と知り合ってからちょうど1…

TAP the DAY

ロック・バンドを目指していたファニーズがザ・タイガースになったことで誕生した日本のGS

1966年5月10日、京都会館第一ホールで行われた「全関西ロックバンド・コンテスト」で、約30バンドを抑えて優勝し、賞金をものにしたのは京都出身の「ファニーズ」…

Extra便

追悼・寺尾次郎(1)~音楽から映画へ道に進み、字幕翻訳家になったシュガー・ベイブのベーシスト

小学生の頃から映画が好きだった寺尾次郎は、よく叔母さんに東宝の怪獣映画と青春ものと外国映画の3本立てに連れて行ってもらったそうだ。 音楽活動を始めていた大学時代…

TAP the BOOK

伊藤銀次の自伝「MY LIFE, POP LIFE」に生き生きと描かれる日本のポップスとロックの誕生絵巻

伊藤銀次は大滝詠一からその昔、「伊藤銀次はフィクサー、ロック界のキッシンジャーだ」と言われたことがあったという。自分で意図してそうしているつもりはまったくないに…

TAP the NEXT

かもめ児童合唱団──三浦半島の港町に暮らす子供たちの、太陽のような歌声

世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない 世界じゅうの人の幸せを 祈ります 世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます 世界の中の小さな場所だけ あればいい おかし…

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