「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

季節(いま)の歌

百万本のバラ〜その原曲“マーラが与えた人生”を生んだラトビアの悲劇の歴史

一般的に古いロシア民謡のように思われているこの「百万本のバラ」は、実はそうではないという。 北ヨーロッパの共和制国家ラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņa…

TAP the STORY

加藤登紀子27歳〜彼女の歌手人生を大きく変えた名曲「知床旅情」との出会い

1971年、27歳となった加藤登紀子は「知床旅情」で第13回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。 当時、彼女は「ひとり寝の子守唄」(第11回日本レコード大賞歌唱賞…

TAP the ERA 1989-2019

平成を象徴する音楽家・椎名林檎が登場して日本語の歌に革新をもたらした1998年から99年

昭和元年と昭和64年は、ともに正味が7日間しかなかった。 したがって昭和という時代は昭和2年から昭和63年まで、西暦にすれば1927年から1988年までの約62…

Extra便

ロシア文学からアメリカで生まれた「花はどこへ行った」が日本で歌い継がれてきた歴史をたどる

今は幻となった満州国で最大の都市だったハルビンは、帝政ロシアが開発した多民族が暮らす国際都市だった。 その地で生まれた加藤登紀子は、戦後日本に帰ってからも「暗…

TAP the NEWS

知床旅情〜加藤登紀子が“私の原点”として大切に歌いつづけてきた名曲

「1968年は夫と知床旅情に出会った私の原点。世の中が二つに割れているような当時、ふと思ったのは、人と人の間に裂け目ができても、底でつながる歌を唄いたいというこ…

TAP the SONG

「拘置所のトイレをあけるとねずみが顔を出し楽しい」と書かれていた手紙から生まれた「ひとり寝の子守唄」

東京大学に在学中だった1965年に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し、翌年に「誰も誰も知らない」で歌手デビューした加藤登紀子は、セカンド・シングル…

TAP the SONG

中森明菜によって新たな生命を吹き込まれた加藤登紀子の「難破船」

「難破船」は加藤登紀子が1984年12月1日にリリースしたアルバム『最後のダンスパーティー』の収録曲で、発表当時はアナログ盤のA面2曲目であった。 40歳を迎え…

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