「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

追悼・加瀬邦彦~沢田研二の「TOKIO」が開いた80年代の扉

1979年12月31日の深夜、70年代という1つの時代が終わり、新たな時代の幕開けが目前に迫っていた。 当時は大晦日から元旦にかけてのテレビ番組「ゆく年くる年」…

TAP the NEWS

我が窮状〜稀代のスーパースター沢田研二の反骨精神

【窮状(きゅうじょう)】という言葉を辞書でひいてみる。 「困っている状態」「大変苦しい立場にいるようす」「痛々しい状態」などと書いてある。 この歌は、日本を代表…

TAP the SONG

テンプターズの「エメラルドの伝説」が誕生したことで頂点に達するグループ・サウンズのブーム

1968年3月に発売した第2弾シングル「神様お願い」のヒットによって、テンプターズは先行していたタイガースのライバル的なポジションを得て、熱狂的なグループ・サウ…

Extra便

内田裕也語録その2~「世界中の良いものを取って、テメエらにあわせなくちゃ…。でもそこから本物が生まれる時がある」

99人の著名人について内田裕也が語ったコメントをいくつか、1976年に出た最初の単行本「俺はロッキンローラー」から紹介したい。 ベンチャーズ ビジネスと音楽は別…

Extra便

内田裕也語録その3~「男としていちばん輝いてる10年間は人のために尽くしました」

内田裕也が1976年に出した初の単行本「俺はロッキンローラー」には、子どもの頃に思っていた「カッコイイニイチャン」になりたいという、素朴な憧れが語られている。 …

TAP the SONG

久世光彦と阿久悠が作った沢田研二主演のドラマから生まれた「時の過ぎゆくままに」

1975年にオンエアされたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』のテーマとして作られた「時の過ぎゆくままに」は、大ヒットを記録して沢田研二の代表作になった。 TBS…

Extra便

小泉今日子が恩師・久世光彦のために続けている舞台『マイ・ラスト・ソング』

女優になれたのは「久世さんのおかげ」だと語る小泉今日子は、「前略久世光彦様」という書き出しの手紙で、『マイ・ラスト・ソング』の成長について次のように触れている。…

Extra便

沢田研二が27歳で挑んだ歴史的な『セブンスターショー』の映像

テレビドラマのヒットメーカーとして知られていたTBSの演出家でプロデューサーの久世光彦は、グループ・サウンズのタイガースからソロになって成功した沢田研二にすっか…

Extra便

「君をのせて」という歌の「君」とは作者の岩谷時子にとって越路吹雪だったのかもしれない…

「君をのせて」という歌は、1971年に行われたプロの作曲家コンクール「第3回 合歓ポピュラーフェスティバル’71」への参加曲としてつくられたものだ。 作曲したの…

季節(いま)の歌

コバルトの季節の中で〜ジュリーが作曲し、稀代の演出家・久世光彦が歌詞を手掛けた“秋の名曲”

数々のヒットソングを放ってきたジュリー。 彼が27歳になる年に唄った「時の過ぎゆくままに」(1975年)は、自身が主演を務めたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』…

TAP the DAY

沢田研二の「危険なふたり」

1973年(昭和48年)4月21日、沢田研二の6枚目のシングル「危険なふたり」(ポリドールレコード)が発売された。 同年の国内ヒットチャートといえば… 1位「女…

Extra便

ビートルズ来日公演~観客席の少年少女たちには確かに届いていた音楽

ファン待望のビートルズ来日公演の初日。 コンサートは1966年6月30日午後7時35分に始まり、8時5分に終了した。 ビートルズはアンコールもなく、楽屋口に用意…

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