「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

久世光彦特集~40年ぶりに発見された美空ひばりの未発表レア音源による「さくらの唄」

2017年生誕80周年を迎える5月29日に合わせて、美空ひばりの「さくらの唄」の未発売音源が初めてCD化された。 1976年7月1日に発売された「さくらの唄」は…

TAP the SONG

久世光彦特集~「爪」という曲が好きで最後の4行だけを小さな声で歌っていた向田邦子

大学を出てTBSに入ってからテレビドラマの演出で活躍していた久世光彦が、師匠筋にあたる森繁久彌の紹介でラジオ番組の台本を書いていた若い放送作家の向田邦子と出会っ…

TAP the NEWS

ヨイトマケの唄

“ヨイトマケ”とは、「重い物を滑車で上げ下げしたり、網で引いたりする動作を、大勢で一斉にするときの掛け声。転じて、そのような労働、主に地固めなどの仕事を日雇いで…

TAP the SONG

丸山明宏(美輪明宏)をスターにした「メケ・メケ」、その革新的な日本語詞

敗戦後の復興期にあった1951年、東京・銀座に開店したデラックス・キャバレーの『銀巴里』は、当時としては眩(まばゆ)いほどに豪華な内装のダンスホールだった。 美…

Extra便

リサイタルで完璧なオーケストラ・ヴァージョンとしてうたわれた美輪(丸山)明宏の「ヨイトマケの唄」

シャンソン歌手の美輪明宏は1957年にデビュー・シングル「メケ・メケ」をヒットさせてスターになったものの、同性愛者であることを隠さなかったためにバッシングにあっ…

Extra便

日本で最初のシンガー・ソングライター美輪明宏が歌った「愛の讃歌」

「メケ・メケ」を日本語でカバーした丸山明宏は、1957年にシャンソンを歌い上げる美貌の青年として登場した。メディアにたびたび取り上げられた22歳の丸山明宏は、作…

TAP the STORY

美輪明宏 27歳〜日本初となった“奇跡のリサイタル”その成功までの道

1962年、当時27歳だった美輪明宏(当時・丸山明宏)は“日本初”となる全オリジナル楽曲による自主公演を計画し、その準備のために奔走していた。 そして翌年の11…

Extra便

美輪明宏の表現でアングラという枠を超えてスタンダードになった寺山修司作品『毛皮のマリー』

劇団・天井桟敷が美輪明宏(当時は丸山明宏)を主演に迎えて1967年4月に上演した『青森県のせむし男』は、5月になってすぐに映画館「アートシアター新宿文化」でアン…

Extra便

「丸山くんの美しさは『天上界の美』ですよ」という名言を口にした三島由紀夫

1957年の正月、有楽町駅前にあった日劇ミュージックホールでは、美貌の青年歌手・丸山明宏(現・美輪明宏)が初出演して話題を集めていた。 ガウチョ(カウボーイ)の…

Extra便

「黒蜥蜴の唄」から「黒ネコのタンゴ」まで~日本語の歌をカヴァーして世界に発信するピンク・マティーニ

ピアニストでリーダーのトーマス・M・ローダーデールが1994年にアメリカのポートランドで結成したピンク・マティーニは、最初は5人のメンバーから始まったが、199…

TAP the SONG

越路吹雪、美輪明宏、大竹しのぶ、それぞれが定番にしたエディット・ピアフの「愛の讃歌」

シャンソンの名曲として世界中で親しまれている「愛の讃歌」は、越路吹雪の歌によって日本でも1950年代前半から60年代にかけて、広く親しまれて浸透していった。 と…

スタジオジブリ『熱風』

『熱風』連載第3回 長崎の臣吾少年から銀巴里の丸山明宏へ成長した青年

(はじめに)  丸山臣吾は一九三五(昭和十)年五月一五日、長崎県長崎市に生を受けた。江戸時代から日本で唯一の国際都市として外国文化に親しんできたこともあって、長…

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