「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

E.YAZAWAの世界を確立する究極のバラードを矢沢永吉に書いた西岡恭蔵③~「A DAY」

セカンド・アルバムのタイトル曲になった「A DAY」は、矢沢永吉のなかでも屈指のバラードであるが、この静謐な楽曲の完成度は尋常ではない。 矢沢はセルフ・プロデュ…

TAP the SONG

ロックスターになっていく矢沢永吉を作詞で支えた西岡恭蔵②~「トラベリング・バス」

いつだってとどまることのない挑戦の姿勢は矢沢永吉というロックスターの核であり、表現者としての本質なのであろう。 ロスアンゼルス録音によるソロ・アルバム『アイ・ラ…

TAP the SONG

矢沢永吉の世界にダンディズムと哀愁を見出した西岡恭蔵①~「ライフ・イズ・ヴェイン」

矢沢永吉と出会ったきっかけについて、生前の西岡恭蔵は「ディレクターの方とか矢沢本人とかが作詞をする人を捜してたんてすよね。で、その中にピックアップされて、今も続…

Extra便

高田渡の『イキテル・ソング』──父の歌をうたうことへの想い 高田漣インタビュー 後編

高田渡の没後10年を機に、あらためて彼の魅力に触れるトリビュート特集。マルチ弦楽器奏者として活躍する高田漣のロング・インタビュー後編は、彼が初めてギターを持った…

TAP the SONG

矢沢永吉のために書いた「バーボン人生」は「ミスター・ボージャングルズ」からのひらめき

矢沢永吉がソロになってから3枚目のアルバム『ドアを開けろ』(1977年)は、最後から数えて2番目に収録されていた「バーボン人生」と、それに続くラストの名曲「チャ…

TAP the STORY

西岡恭蔵の27歳~細野晴臣と吉野金次、そして矢沢永吉との出会いで見えてきたダンディズム

大阪のミナミの繁華街から少し外れた難波元町で、「喫茶ディラン」が営業を始めたのは1969年8月15日。その日は終戦記念日であった。 わずか4坪半のスペースにカウ…

TAP the SONG

石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」

1971年の来日公演で体験したB.B.キングの強烈なチョーキングテクニックと、歌ったり泣いたりしているギターに圧倒されて、石田はブルース・ギタリストとして生きよ…

TAP the SONG

「プカプカ」を歌っただけでなくアンサーソングまで作った女優の桃井かおり

サブカルチャーが台頭した1970年代に最も存在感があった男優が「原田芳雄」ならば、最も輝いていた女優は「桃井かおり」だった。 幼い頃から目指していたクラシックバ…

TAP the SONG

「プカプカ」のモデルとなったのは激動の時代を駆け抜けたジャズ・シンガーの安田南だった

その昔、安田南というジャズ・シンガーがいた。 1960年代の前半から米軍キャンプなどで歌うようになったが、一時は俳優座養成所に籍をおいていたこともあった。 アン…

TAP the SONG

カウンター・カルチャーが台頭した70年代に「プカプカ」を歌い継いだのは役者やダンサーが多かった

ジャズシンガーの安田南が前ぶれもなく、ふいに表舞台から姿を消したのは1978年のことだ。 それからというもの、消息はほとんどわからず、彼女の名前は「プカプカ」の…

Extra便

追悼・石田長生~偉大なるミュージシャンズ・ミュージシャンにしてプロデューサー

石田長生さんの訃報がツイッターやFBで2015年7月8日の朝から流れて、HPを訪れてみると確かにその事実が告知されていました。 ご報告。 かねてから闘病中でした…

街の歌

On the Sunny Side of the Street〜人々の心に勇気と希望を与えた歌

さあ!コートを掴んで 帽子をかぶって外に出よう 悩み事なんか戸口の階段にうっちゃっておけ 足を通りの陽のあたる側に向けさえすればいいんだ 一文無しでも気持ちはロ…

1 / 212

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ