「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

プロコル・ハルムの名曲「青い影」にまつわるいくつかの逸話

ビートルズが伝説の名盤『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を発表した1967年、同じイギリスで一曲の名曲が…

TAP the ERA 1989-2019

平成はここから始まった!〜“バブル時代”の本当のサウンドトラックとは?(後編)

流行都市TOKYOに鳴り響いたバブル80’sというパーティ(後編) バブル──今から想えば、それはとてつもなく華やかで眩しくて、余りにもワイルドで切…

TAP the ERA 1989-2019

平成はここから始まった!〜“バブル時代”の本当のサウンドトラックとは?(前編)

流行都市TOKYOに鳴り響いたバブル80’sというパーティ(前編) バブル──今から想えば、それはとてつもなく華やかで眩しくて、余りにもワイルドで切…

TAP the STORY

27歳になった大瀧詠一を待っていたのは、地獄の責苦のようなハード・スケジュールだった

1975年6月9日にスタートした大瀧詠一のDJ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ(GO! GO! NIAGARA)』は、1978年9月25日まではラジオ関東で、197…

Extra便

「パイド・パイパー・ハウス」はなぜ伝説のレコード・ショップとなったのか?

南青山にあった伝説のレコード・ショップ「パイド・パイパー・ハウス」は、1975年11月にオープンしてから足かけ14年間の営業で1989年6月に閉店した。 日本で…

TAP the SONG

「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

夢で逢えたら

TAP the SONG

大瀧詠一の「夢で逢えたら」が日本有数のスタンダード・ナンバーに至るまでの道のり

数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味では、「夢で逢えたら」が代表曲に挙げられる。 この歌が誕生したのは…

TAP the DAY

サム・クックの素晴らしさを発見した日本のミュージシャンたち

アメリカのローリングストーン誌で2014年に180人の著名人の投票により選出された「偉大なシンガー100人」で、サム・クックはジョン・レノンやボブ・ディランより…

TAP the DAY

尾崎豊が生涯たった一度のテレビ出演で歌った「太陽の破片」

1983年にNHK-FMで夜10時から放送していた『サウンドストリート』は、月曜日:佐野元春、火曜日:坂本龍一、水曜日:甲斐よしひろ、木曜日:山下達郎、金曜日が…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。 そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。 最初の1行の…

Extra便

追悼・大森昭男~はっぴいえんどの大瀧詠一を発見したことから始まったCM音楽の新時代

CM音楽のプロデューサーとして1970年代の音楽シーンに新風を吹き込んだ大森昭男は、日本におけるコマーシャルソングの祖といわれる三木鶏郎の門下生で、1960年に…

街の歌

駅〜今はなき東急東横線旧渋谷駅が舞台となった竹内まりやの名曲

この楽曲は1986年に竹内まりやが中森明菜のアルバム『CRIMSON』への提供曲として書き下ろしたもの。 翌1987年に自身の16枚目のシングルとしてリリースし…

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