“Mr.アメリカンメロディー”と呼ばれた男コール・ポーターが作詞作曲したこの楽曲を、物語のヒロイン役を演じたリロが唄ったのが初出。
19世紀末のパリを舞台に、フレンチカンカン(ロングスカート、ペチコート、黒ストッキング等の衣装を着用した女性ダンサーのコーラスラインが上演するショーダンス)に対する取り締りの厳しさに抵抗し、カフェの女主人ピスターシュが、検察官のフォレスティエールを誘惑して裁判で無罪を勝ち取るというストーリー。
曲のイメージを模索していたポーターは、当時、アートデザイナーとして注目を集めていたジョー・ミールツィナーが手掛けた舞台セットを見て驚嘆したという。
パリの屋根が鮮やかに描かれているセットを前に、ポーターはたったの30分でこの曲のスコアを仕上げたのだ。
父親の名がサム・ポーターで母親の名がケイト・コールだったので、彼はコール・アルバー・アルバート・ポーターと名づけられる。
母方の祖父が広大な農場を経営する大富豪だったため、金銭的には何不自由なく育てられた少年だったが、彼の両親はけっして裕福ではなく、彼は家庭で甘やかされることなく育てられたという。
6歳の頃からピアノを習い始めた彼は、すぐにピアノ演奏だけでは飽き足らなくなり、10歳の頃には作曲をするようになっていた。
その後、彼の学費などを援助してくれた祖父の望みに応え、ハーバード大学で法律を学ぶようになる。
しかし…彼の心の中では音楽の道へ進む夢が燻っていた。
卒業後は、再び音楽学校に通い、1916年からブロードウェイのショーを手がけるようにもなるが…批評家たちからの不評を受けたり、さらには関わった興行が失敗したりして、ショックを受けた彼は逃げるようにパリへと旅立つこととなる。
幸福な家庭で育った彼にとって、それは人生最大の挫折だった。
1971年、時は第一次世界大戦の真っ只中。
この年から彼は作曲家ヴァンサン・ダンディに師事しもう一度音楽を学び始める。
そこで生涯の伴侶となる女性リンダ・トーマスと出逢い、パリで暮らした10年間という歳月の中で、彼は音楽の才能を見事に開花させて栄光を手にすることとなる。
ミュージカルや映画音楽を担当し、洗練された作詞作曲で次々とヒット作を生み出してゆく。
代表作は「You’d be so nice to come home to」「Begin the Beguine」「So in Love」など。
1954年、リンダが肺気腫でこの世を去ってしまう。
彼女が死去した後の10年間(1964年に生涯を終えるまで)彼は作曲をすることはなかったという…。
彼にとってパリは、最愛の妻と出逢った特別な場所なのだ。
