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マリア・カラスを偲んで②〜映画出演、人生最後の恋、ラストステージ…そしてパリでの寂しい晩年


1969年、46歳を迎えた彼女は、心の痛手を振り切るかのように映画『王女メディア』(1970年公開)の撮影に挑んでいた。
それは、自身のキャリアにおいて初となる映画出演だった。
彼女はそこで監督ピエル・パオロ・パゾリーニと恋仲になったものの…すぐに破局する。
映画も興行的に大失敗に終わり、その後、彼女は二度と映画に出演することはなかった。

──やはり彼女には歌しかなかった。
その後、彼女は若い才能を育てるためにジュリアード音楽院マスタークラスを開催し、後進の指導に情熱を傾けるようになる。
その頃、彼女は一人の男性と再会を果たす。
テノール歌手、ジュゼッペ・ディ・ステファノ。
二人は1950年代にいつくかオペラで共演をしていた。
当時は二人とも歌手として絶頂期にあり、お互いのプライドをぶつけ合い、事あるごとに張り合う仲だった。
それは20年ぶりの“再会”だった。
ジュゼッペ・ディ・ステファノは、失意の彼女を励ます気持ちもあって「二人でもう一度一花咲かせよう」と大がかりなツアーを提案し説得。
彼女の人生最後のワールドツアーは1973年から74年にかけてヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアで行われ、各地で絶賛を博した。
そして彼女は公演のパートナーである彼と深い仲になっていった。
それは、当時50歳を迎えていた彼女にとって人生最後の恋だった。
しかし、彼には妻がいて…その恋は実らせてはいけないものだったのだ。
そんな中、ジュゼッペ・ディ・ステファノとのツアーは続いてゆく。

──マリア・カラス、生涯最後の舞台は日本だった。
彼女はあるインタビューで「日本を観光で訪ねたい」と応えたことがあったほどだった。
来日を果たした彼女は、デパートで買物を楽しんだり、日本食を食べたりと常に上機嫌だったという。
1974年、東京、福岡、大阪、広島とツアーは続き11月11日の北海道厚生年金会館の舞台で千秋楽を迎えた。
奇しくも、そのステージが彼女の人生最後のステージとなった。


──世紀の歌姫として絶頂を極めた彼女の晩年は、あまりに寂しいものだった。
ジュゼッペ・ディ・ステファノとの恋も破局を迎えた彼女は、それ以降、パリの自宅アパートに引き籠もってほとんど誰とも会うことはなかったという。
高価な骨董品が飾られた部屋で2匹のプードル飼い、天気のいい日には近くの公園で犬の散歩をし、夜は2人の家政婦を相手にトランプに興じ、全盛期の頃の自分のテープを聴く日々だったという。


常にどこか満たされない寂しさと、深い悲しみを抱えながら歌い続けた彼女。
過度のダイエットや数々のスキャンダルによるストレスでステージに立てなくなったこともあった。
喉の不調で歌えなくなった時期もあった。
しかし、その歌人生の舞台裏には常人には到底及ばない情熱とたゆまぬ努力があったという。
公演前には、納得するまで何度もリハーサルを繰り返す。
だからこそ、彼女の舞台は究極の芸術性を表現でき、観衆と一体となった熱気を生んできた。
しかし、テレビの普及によって人々の足は次第に劇場から遠のきはじめる。
急速に進むインスタントカルチャー。
彼女が関わる舞台も例外ではなかった。
前日に1回きりのリハーサルでいきなり本番ということが珍しくなく、リハーサルなしの出演依頼さえあった。
生前、彼女はこんな言葉を残している。

「私の芸術はぶっつけ本番では生まれない。」



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