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アフリカへの思いと新しい命の誕生~「可愛いアイシャ」 スティーヴィ・ワンダー

1962年にモータウンと契約を結んだスティーヴィ・ワンダーは、極めて短いスパンでアルバムを発表し続けてきた。

1973年の自動車事故で瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、1974年には”第一幕終了”と名付けられたアルバム『ファースト・フィナーレ』を発表した。

しかし次のアルバムが出るまでには少し時間がかかった。

ずっとアルバム制作のサポートをしてきたマルコム・セシルとロバート・マーゴレフが、アルバム「ファースト・フィナーレ」を最後にスティーヴィのもとを離れることになったのだ。

また、自動車事故による後遺症の頭痛に悩まされて治療を続けていたが、ツアーがキャンセルされたりもした。

1975年に入ってからは、少しずつ次のアルバム制作に取りかかってはいたが、それを一時中断してスティーヴィはジャマイカへ渡り、ボブ・マーリー&ウェイラーズとセッションを行う。

またアメリカ国内では同胞の貧しい黒人たちのため、または重病や障害に苦しむ子供達のためのチャリティー・コンサートを開催したりしていく。

スティーヴィの心は次第に、アフリカに傾いていたのだった。そして1975年の末、モータウンとの契約交渉を前にスティーヴィはミュージック・ビジネスから引退し、ガーナへ移住すると発表した。

アメリカは世界の他のところで何が起こっているのかを国民にあまり知らせなさすぎると思う。僕はアフリカで二者択一の道というものをもう一度思い出してみたいんだ。
また、あちらの目の不自由な人たちのために何かしてあげたいとも思う。例えば、エチオピアでは目の不自由な人々の40パーセントが、蠅が運んだ菌で角膜をやられているんだよ。『眠り病』と呼ばれる、失明の原因となるこの病気を何とかしなければならないんだ。この病気と闘う財団を設立するための力になれればと思うよ。


この発表にはモータウン側も焦って、エドワード・アブネル社長は「我々はコンサートでお金を稼ぐ方が、あちらへ行って働くよりも、もっと理にかなっているとスティーヴィに指摘するつもりだ」とコメントした。

多数の会社がスティーヴィを欲しがったが、1975年8月には再度モータウンとの契約を果たした。前の契約よりもさらに自分の仕事をコントロールできる権限を許された7年契約、契約金1300万ドル、当時のミュージシャンとしては最高額と言われた。

だがこのときスティーヴィにとって一番の決め手となったのは、モータウンが黒人の会社だということだった。自分も含めてモータウンなくしては、今の黒人アーティストの活躍はなかったとスティーヴィは語っている。


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1976年も後半にようやくリリースされたアルバム『キー・オヴ・ライフ』は、2枚のLP盤とEP盤からなる3枚組のアルバムとなった。

マーゴレフとセシルが去ったこともあり、発売当初は「とっちらかった印象」という批評も少なくなかった。だが「人生の鍵」と名付けられたこのアルバムには、スティーヴィの音楽人生に影響を及ぼした”鍵”なるものが散りばめられた非常に中身の濃いアルバムである。

その中に収録されている「可愛いアイシャ(Isn’t She Lovely)」は、1975年4月にヨランダ・シモンズとの間に生まれたスティーヴィにとって初めての子供、アイシャについて歌っている。

新しい命を授かった喜びが、歌にメロディーに、そしてスティーヴィのハーモニカにもあふれんばかりだ。

なんて可愛いんだろう
なんて素晴らしいんだろう
なんて尊いんだろう
まだ一分と経たないのに


愛娘の名前「アイシャ・ザキア」は、アフリカの言葉で「強い力と叡智」を意味する。

それまで定まった住所も持たずスタジオにこもりっきりだったスティーヴィが、アイシャの誕生をきっかけに家族との時間を持つための家を購入したという。もしかしたらアフリカへの移住を思いとどまらせたのも、アイシャの誕生だったのかもしれない。


幸せあふれるこの歌はシングル・カットされなかったにもかかわらず、今では多くの人に愛されるスタンダード・ナンバーとなった。そして大人になったアイシャとは、2005年に出したアルバム『タイム・トゥ・ラヴ』でデュエットしている。

スティーヴィーは同年に来日した記者会見の場で、愛娘アイシャとともに登場してこう語った。

「アイシャは赤ん坊のころから歌ってたんだよ。「Isn’t She Lovely」のイントロの声はアイシャのなんだよ。彼女、声がいいから歌手になればいいのにって思ってたんだ」


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