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矢沢永吉のために書いた「バーボン人生」は「ミスター・ボージャングルズ」からのひらめき

矢沢永吉がソロになってから3枚目のアルバム『ドアを開けろ』(1977年)は、最後から数えて2番目に収録されていた「バーボン人生」と、それに続くラストの名曲「チャイナタウン」がセットになっているかのようで、シブい大人の男の色気を漂わせていてそれまでになく新鮮だった。

ニューオリンズ・ジャズの時代を思わせるラグタイム風の「バーボン人生」は、懐かしさを感じさせるサウンドもふくめて、初老のジャズ・シンガーを彷彿させる主人公の人生が描かれている。

そこにはロックスターになったばかりの矢沢永吉や、シンガー・ソングライターとして活躍する西岡恭蔵が、まだ経験してはいなくとも、いずれ遠くない将来に訪れるであろう日々が重なってくることで、哀愁がにじみ出るという仕掛けになっていた。

西岡恭蔵は作詞をするときにヒントを得たのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの代表曲「ミスター・ボージャングル」だったと明らかにしている。

ニューヨーク出身のシンガー・ソングライターだったジェリー・ジェフは、1960年代初頭にグリニッジ・ビレッジのフォークシーンで活動した後、フォークロックのバンドを経てソロ活動に入った。そして長い放浪の旅に出て、60年代後半にはテキサスに流れ着いて定住するようになった。

そこからウィリー・ネルソンやウェロン・ジェニングスといった仲間と出会って、レッド・ネック・ロックの代表的ミュージシャンとして注目を集めていく。


ニューオリンズを放浪していた時期にジェリー・ジェフは酔っ払って、トラ箱(泥酔者保護施設)に放り込まれたことがあったという。たまたまそこにいた先客が、年老いたボードビリアンであった。

そして「ボージャングル」と名乗るその老芸人の話を聞いたことから、後に「ミスター・ボージャングルズ」という普遍的なバラッドにまとめて、デビュー・アルバム『ミスター・ボージャングルズ』(1968年)に収録した。

それを1972年にニッティ・グリティ・ダート・バンドがカヴァーしたことによって、「ミスター・ボージャングルズ」はヒットして、たくさんのカヴァーが生まれてスタンダード・ソングになっていく。

 オレはボージャングルという男を知っている
 擦り切れた靴を履いて、みんなにダンスを踊ってくれた
 白髪頭でよれよれのシャツ、だぶだぶズボンに古いタップ用のシューズ
 ヤツは高く跳んだ、とても高く跳んだ
 そして軽やかに着地してみせたよ

 オレがヤツに会ったのはどん底の頃だった
 場所はニューオーリンズのトラ箱さ
 ヤツは年月をかさねた目で、オレを見つめて話し出した
 ヤツはそこから自分の人生を語り始めたんだ
 時には膝を叩いて ステップを踏んでね



西岡恭蔵は「パーポン人生」の原曲が吹き込まれたデモテープを聴いて、アルバム『ドアを聞けろ』の中でも1曲だけ異質な歌だと感じたという。

それまでの矢沢永吉にはなかった、ニューオーリンズ・ジャズのテイストを感じた。そこで老いたシンガーが歩んてきた過去への想いを振り返るという、懐古調の歌詞を作ってみることにしたのだ。

そこにニューオーリンズの安酒場で「ミスター・ボージャングルズ」を歌う、老いたホンキー・トンク・シンガーのイメージが、自然に浮かび上がってきたのだろう。

なぜならばジェリー・ジェフこそは、1970年代にテキサス州のオースティンを拠点として、バーのあるライブハウスで歌い続けることで新しい表現の場を構築した、正真正銘のホンキートンク・シンガーであったからだ。

アメリカの「歌」について詩人の長田弘氏が綴った名著『アメリカの心の歌』(みすず書房 2012)には、ホンキートンク・シンガーの道を選んだジェリー・ジェフと、それを育んだオースティンという都市についてこんな記述がある。

新しいホンキートンクは、もう一つのアメリカのもう一つの歌の世界のゆりかごになった。ニューヨークでもない、シカゴでもない、ロスアンジェルスでもない、七〇年代になってコミュニティの場としての新しいホンキートンクというかたちをそだてて、新しいもう一つの歌の世界をそだてたのは、テキサス州のオースティンだ。


オースティンでは1987年から若者たちによる手作りの音楽祭として、ライブハウスやバーをつないで「サウス・バイ・サウスウェスト」のイベントが始まった。

それが今では世界95カ国から7万人以上がオースティンに集合する「音楽」と「映画」、そして「インタラクティブ」の複合イベントへと成長してきた。

そしてジェリー・ジェフは現役のシンガーとして今でも歌っている。


20代のなかばにして「バーボン人生」を歌うようになった矢沢永吉もまた、それから四半世紀を超える歳月を経た現在も、「バーボン人生」を歌い続けている。

実際に50代から60代になった矢沢永吉によって「町から町へのおれの人生」と歌われる歌詞には、当たり前だが圧倒的なリアリティと重みが増している。

驚くべきことには、若い頃の男の色気はいささかも失われていないことだ。


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