イギリスを代表するギタリスト、ジョニー・マー。1980年代にザ・スミスの中心メンバーとして活躍し、オアシスのノエル・ギャラガーや元スウェードのバーナード・バトラーなど、多くのギタリストにも影響を与えたことでも知られる。
1963年、イギリスのマンチェスターでアイルランド系移民の子として生まれた彼は、19歳にしてザ・スミスのギタリストとしてデビューを果たす。
人気絶頂期の1987年にバンドを脱退し、プリテンダーズに在籍したこともあった。以降、ザ・ザのメンバーとなりながら、セッションミュージシャン、楽曲提供、プロデュースなど多岐にわたって活躍の場を広げていった。
26歳を迎えた1989年、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとエレクトロニックを結成。当時のことを自伝でこんな風に語っている。
「ザ・スミスを辞めたあと、僕には先のことは一切わからなかった。ただ分かっていたのは、振り出しに戻って最初からやらねばならないかもしれない、ということだけだ。まさかポール・マッカートニーやデニス・ホッパーやトーキング・ヘッズから電話がかかってこようとは思ってもみなかった。ただギターだけ弾ければそれでいいと思っていたんだから。そう、子供の頃に思っていたようにね」
当時、ジョニーに声が掛かるセッションは、本人にとって夢のような内容だった。縁が繋がって自分と関わるミュージシャンとレコード(作品)を作ることが純粋に好きだった。セッションを繰り返し、誘いを受けたバンドへのサポート参加を重ねながら、ギタリストとして“自分の存在意義”を見つめ直し、より高みを目指すようになっていった。
「しばらくはバンドへの正式所属はなくてもいいと思っていた僕の気持ちを変える出来事があったんだ。それはマット・ジョンソンとの再会だった。ザ・ザに参加しないか?という彼からの誘いだった」
二人は当時ブリクストン・アカデミーで開催されたイギー・ポップのコンサートのあとに会おうと約束を交わした。終演後のイギーの楽屋で“新生ザ・ザを作りたい”とマットが計画を打ち明けてきた。そこに目ざとくイギーが近づいてきて、二人にこんな言葉をかけた。
「お前ら何か一緒にやるのか? だとしたらやるべきだ!」
彼らにとって憧れの存在でもあるイギーから、“お墨付き”をもらった二人に迷いはなかった。
「マネージメント契約のこともスムーズにいき、その後僕はマンチェスターとロンドンを往復する生活を送ることになった。ロンドンでザ・ザの仕事をやり、北に戻った時、ニュー・オーダーの仕事がない時はバーナードと何かをやる。唯一バーナードとの新プロジェクトにはまだ名前がなかったんだ。ある日、バーナードと部屋でミーティングをしていたとき、彼が壁のエアコンを指差して“僕らはエレクトロニックだ!”と口にしたんだ。それはエアコンに書かれたメーカーの名前だった」
程なくしてイギリスの音楽プレスは、彼がマット・ジョンソンのザ・ザに正式加入したことを発表した。評論家の一部からは否定的な反応もあったという。
「ザ・スミスからの逃亡者をかくまう厚かましきマット・ジョンソン」
そんな外野の批判に耳を貸すことなく、二人は自分たちの音楽に専念した。『Mind Bomb』と名付けられた新作アルバムは見事トップ5入りを果たすこととなる。コンサートは軒並みソールドアウトとなり、彼らへの注目は高まる一方だった。
「アルバムの中で最初にレコーディングした“The Beat(en) Generation”は、マットにとっって初のトップ20入りを果たした記念すべき曲となったんだ。ザ・ザでは僕はあらゆることを試す自由を与えられ、促されるままに新たしいことに挑戦したんだ。例えばファズサウンド、そしてインダストリアルなノイズ、過激なエコーなど、どれも実験精神に満ちていて刺激的だったよ」
一方でジョニーは、バーナード・サムナーとエレクトロニックも始動させた。バーナードとの仕事はエレクトロ・ミュージックを実験し、マシンを使った仕事の仕方を学ぶには絶好のチャンスだった。ドラムのビートをプログラミングし、自らの徹底した“ポップセンス”に磨きをかけていくこととなる。当時、彼らがスタジオで交わした会話はこんな風だった。
バーナード「そこにもっとギターを乗せろよ!」
ジョニー「嫌だよ!」
バーナード「いいからギターを乗せろって!」
ジョニー「必要ない!」
バーナード「でもみんなに責められるのは俺だ。俺が悪いって言われるんだぜ!」
デビュー当初からジョニーは、「ギタリストはあくまで伴奏者である」というポリシーを持っていた。テクニックをひけらかすのではなく、曲に相応しいフレーズさえ弾けば良く、無駄な音は一音たりとも弾くべきではない、という信念を持っていた。
ジョニーの奏でるバッキングリフは、メロディーラインとは別な旋律を描き、「ギター1本でフィル・スペクターを演奏する」という意気込みを文字通り体現するかのようなギタープレイだった。一言で言えば、様々なアイデアをギターによって表現することに長けたミュージシャンである。
1990年、27歳を迎えた年に、エレクトロニックにとって初めてのコンサートを実現させる。それはデペッシュ・モードとのロサンゼルス“ドジャースタジアム”での8万人コンサートだった。二日間に渡って行われたそのステージは、彼らにとって最高のデビューの舞台となった。
「あのライブは間違いなく、僕の心に残るエキサイティングで達成感に満ちたものだったよ!」
<引用元・参考文献『ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽』ジョニー・マー(著)丸山京子(翻訳)/シンコーミュージック>
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