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ビリー・ホリデイのFirst Step〜路上生活ギリギリの夜に手に入れた歌手へのチャンス

ビリー・ホリデイことエレオノーラ・フェイガンは、1915年にアメリカ合衆国のフィラデルフィアで、母サディ・フェイガン(当時19歳)と父クラレンス・ホリデイ(当時17歳)のもとに生まれた。

ジャズギタリストだった父親は、夜はナイトクラブで演奏し、昼は街頭で流しをして生活をしていた。そのため彼女は、幼少期をほぼ母親と二人で過ごしている。

まだ若かった母サディは、娘の面倒をしっかりみることもなく、母方の親族に委ねられるようになる。サディは次々と職を変え、その合間を縫ってニューヨークを訪れては売春を重ねていたという。

親族の家を転々として生活していたビリーにとって、幼少期の思い出は辛く寂しいものでしかなかった。そして1928年、サディは娘を手元に引き取った。

「ママと私がようやくハーレムで一緒に暮らすようになった頃、デフレがやってきたの。不景気は我々にとって珍しいものではなかった。貯めていたわずかなお金は瞬く間に消えてしまった」


サディは娘を売春宿に預けて再び売春を始めるが、1929年には母と共にビリーまでが売春の容疑で逮捕されてしまう。やがて禁酒法時代のハーレムの真ん中で、非合法のナイトクラブに出入りするようになった。この時期こそが、ビリー・ホリデイの歌人生において、“はじめの一歩”となっていくのだ。

母子で身を寄せ合う生活は苦しく、とうとう家賃が溜まり過ぎて、二人はアパートからの立ち退き命令を受けることとなる。

「本当に寒い夜だったわ。絶望的な気持ちになっていた私はコートも着ずに通りを歩きながら必死で仕事を探し歩いた。その頃133丁目は、クラブ、レストラン、カフェが立ち並んでいて、いつも浮かれている街だったわ。そして私は“ポップス&ジェリーズ”というナイトクラブに辿り着いた」


扉を押し開けて、店の中に入り「ボスに会いたい」と一言。奥の部屋から出てきたジェリーに対して、自分はダンサーだと偽り、「ここで働きたい」と懇願した。

「私は2つのステップしか知らなかった。ジェリーは私をピアノの前に連れて行くと、私に踊れと言ったわ。私は同じステップを繰り返しながら惨めに踊った」


「無駄な時間を使わせないでくれ! 俺は忙しいんだ!」
「つまみ出されそうになりながら、私は泣きながら“仕事を下さい!”と頼み続けた。同情してくれたピアニストが、くわえていたタバコをもみ消して、私に問いかけてきたの」
「あんた、歌は唄えるかい?」
「もちろん唄えるわ!」


母親を路上に放り出さないためには、どうしてもお金が必要だった。ピアニストに「Trav’lin’ All Alone(ひとり旅)」を頼んで、客がいるにも関わらず、ぶっつけ本番で歌い出した。次の瞬間、クラブ中がシーンと静まり返った。


「もしも誰かがピンを落としたら、爆弾のように聞こえていたかもしれない。私が歌い終えた時、客は皆ビールを前に泣いていたわ。私はその一曲でフロアーから38ドルのチップを拾いあげたわ」


翌日から週給18ドルで、ポップス&ジェリーズに歌手として出演することなった。その歌声は瞬く間に評判となり、数ヶ月で安定した生活を取り戻すこととなる。

「私は稼いだお金で、最初に模造ダイヤを散りばめた洒落たズロースを買ったわ。私は肉体を見せるのが嫌だった。身体に傷があるわけではないけど、そういうことで客の目を引くやり方が嫌いだったの」


彼女が歌う度に、客席からはこんな囁き声が聞こえてきたという。

「あの娘は、自分のことを貴婦人(レディ)だと思い込んでいるんだよ」


後に彼女はレスター・ヤングから、“レディ・デイ”という愛称を付けられることになる…


<引用元・参考文献『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』ビリー・ホリデイ(著)油井正一(翻訳)大橋巨泉(翻訳)/晶文社>


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