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ベッシー・スミスを偲んで〜ブルースの女王と呼ばれた伝説的な黒人歌手の足跡と功績

1937年9月26日、「ブルースの女王」と呼ばれた伝説的な歌手ベッシー・スミスが、巡業の途中、ミシシッピー州コアホマ付近で交通事故に遭い死亡した(享年43)。

亡くなった当時、人気の絶頂にあった彼女の葬儀は派手に行われたらしいが、なぜか夫が墓石を買い供えるのを拒んだため、墓石は無いままだった。

その悲運の死から33年が経った1970年。ベッシー・スミスを崇拝していたジャニス・ジョプリンとジョン・ハモンド(音楽プロデューサー)の寄付によって、ペンシルベニア州にあるマウント・ローン墓地に墓石が立てられた。ジャニスは墓を建てた2カ月後に世を去っている。

ベッシー・スミスと言えば、ビリー・ホリデイ、マヘリア・ジャクソン、ノラ・ジョーンズ、そして日本の浅川マキなどにも大きな影響を与えた人物として知られる伝説の歌手。

1894年4月15日(生年月日には諸説あり)、テネシー州チャタヌーガで生まれる。幼い時に両親を亡くしたので、姉や兄と力を合わせながら貧しい幼少期を送った。8歳の頃から、日々の糧を得るために兄のギター伴奏に合わせてストリートで歌うようになる。その後、ヴォードヴィル・ショーで踊り子などの経験を重ね、15歳の時に黒人女性歌手マ・レイニーと出会って大きな転機を迎える。

マ・レイニーはベッシーの歌の才能を見出し、ラビット・フット・ミンストレル(当時“テント・ショー”と呼ばれた旅興行一座)に参加させる。その後、アトランタ、メンフィス、シカゴなどで劇場歌手としてキャリアを重ね、1923年(当時29歳)にコロンビアレコードからスカウトされた。

契約直後、ニューヨークに移ってリリースした「Downhearted Blues」がヒットし、ベッシー・スミスは一躍スター歌手の仲間入りを果たす。


20世紀に入り、レコードやラジオという新しいメディアが急速に発展。メジャーレコード会社がブルースを扱うようになったのは、全米各地で盛んになりはじめていたWBSやWSMなどの地方ラジオ局が、黒人向け音楽を頻繁に流し、高い人気を得ていたのが理由だった。

1920年8月10日、メイミー・スミスが「Crazy Blues」を含む数曲をレコーディングする。これは音楽史上初めてのブルースの録音となっただけでなく、歴史上初めて黒人女性の声がレコード化された記念すべき一枚となった。

このレコードは、発売から1年以内に販売枚数100万枚を超えるという(当時としては)驚異的なセールスを記録する。黒人であり女性であるメイミーの成功は、マ・レイニーやベッシー・スミスを代表とする女性ブルースの黄金時代を築き、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンなど、次世代の女性エンターテイナーが活躍する下地を作ることになった。


身長182cm、体重90kgもあったという巨体から繰り出されるパワフルな歌声は、多くの聴衆を魅了し、いつしかベッシーは「ブルースの女王」と呼ばれる存在になっていく。

その圧倒的な声量だけではなく、下積み時代にミンストレルショーなどで培った、細やかな表現力も持ち合わせた卓越した歌唱は、代表曲「Nobody Knows You When You’re Down And Out」「St. Louis Blues」などで味わうことができる。




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