デヴィッド・ボウイが亡くなった2016年。
追悼の意を込め、彼が2000年に出演したグラストンベリー・フェスティバルでのパフォーマンスが劇場で公開されることになった。
その際に、同フェスの主催者であるマイケル・イーヴィスは、以下のような言葉を寄せた。
「ファンタスティックなひとときだった。私にとってはあれがグラストンベリーにおける最高の瞬間だろう。まさに輝いていたよ」
1970年にはじまり、長い歴史を持つグラストンベリー・フェスティバルでは、数々の名演や伝説が生まれてきた。その中から、主催者のマイケルは2000年のデヴィッド・ボウイをベストとして挙げたのである。
そのセットリストはというと、人気曲がズラリと18曲並んだベスト盤ともいうべき内容だ。その一方で、1曲目に1983年以降ほとんどライヴで取り上げていなかった「野生の息吹」を持ってくるなど、ボウイらしい冒険心も伺える。
このとき53歳だったボウイは、過去のヒット曲に当時は出せなかったであろう円熟した魅力を加え、新たなバージョンとして見事に再構築している。それでいながら全身から放たれるエネルギーに衰えは見えない。
若かりし頃とはまた別の、最高のデヴィッド・ボウイの姿がそこにはあった。
当初、グラストンベリー側にデヴィッド・ボウイを出演させる予定はなかったという。そう語るのは、プロモーターのジョン・ギディングスと、ボウイの広報担当だったアラン・エドワーズだ。
その頃ボウイのツアーを手がけていたジョンは、彼にはもっと素晴らしいパフォーマンスを発揮できる舞台があるのではないかと考えていた。
「そのときふと、グラストンベリーに出たらいいんじゃないかって天才的なアイデアが浮かんだんだ。それでマイケル・イーヴィスを招待したんだよ」
12月2日、ロンドンのアストリア・テアトルでのデヴィッド・ボウイのコンサートに招待されたマイケルだったが、「これまで見てきた中で一番退屈だったよ」と言い残し、途中で帰ってしまった。
常に新しいことへ挑戦する意欲に溢れているボウイは、この頃ドラムンベースを取り入れていたのだが、それがお気に召さなかったようだ。
グラストンベリー出演への道が閉ざされてしまったことに、ジョンとアランの2人は肩を落とすのだった。
次の日、ジョンはスパイス・ガールズのコンサートの仕事があった。
その会場でアランからサンデー・タイムスの記者を紹介されると、「何か面白いネタはないですか?」と尋ねられた。
ジョンはここで一か八かの賭けに出る。
「グラストンベリーがデヴィッド・ボウイをヘッドライナーとして出したいと望んでいる」
後日マイケルのもとには、「グラストンベリーにデヴィッド・ボウイが出演するのか?」という電話が殺到するのだった。
しかし、それから3日ほどが過ぎても何の音沙汰もなかった。
やはり駄目だったかと2人が落ち込んでいると、デヴィッド・ボウイから一通のメッセージが届いたという。
「君たちは困った悪戯っ子だ。もうこんなことはしないでくれよ。そして、ありがとう」
それはボウイのもとに、グラストンベリーに出演してほしいというオファーが届いたことの報せだった。
自身のツアーでは想像力の赴くままに、常に新しいことへと挑戦してきたボウイだが、グラストンベリーでは観客が望むデヴィッド・ボウイを演じる方向へ舵を切った。
それは自分の関係者が迷惑をかけたことへの、せめてものお詫びでもあったのだろう。
しかしやるからには一切手を抜かない。選曲から衣装、歌い方や演奏のアレンジ、ステージでの立ち回り方など、細部にいたるまでボウイは徹底的にこだわったという。
こうしてグラストンベリーにおける最高の瞬間は生まれるのだった。
参考サイト:
The inside story on David Bowie’s Glastonbury 2000 show | Music Week(海外サイト)
(2018年7月24日に一部修正いたしました)
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