竹内まりやが衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMだった。一緒にテレビを見ていた兄に「今のは何?」と尋ねると、「ビートルズ」と教えてくれたそうだ。
その時、竹内まりやは9歳。「あまりの衝撃で、ミコちゃんもパラキンもどこかに行ってしまった感じ」だったという。
その当時の少年少女たちの多くがそうだったように、お気に入りは欧米のポップスを日本語でカヴァーしていたミコちゃんこと弘田三枝子や、ダニー飯田とパラダイスキングのヴォーカリストだった坂本九だった。
映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY’S NIGHT)』がロードショー公開されたのは、中高生の夏休みに合わせた1964年の夏から秋にかけてのこと。
東京が8月1日、地方では福岡が5日、京阪神地方が15日、名古屋と札幌が9月1日、仙台が11月で、それ以外では公開されていないようだ。
だから地方に住んでいた少年少女たちは、動くビートルズを見ることができなかった。
しかし、森永製菓の「ストロングチョコ」のCMに、映画の1シーンが使われて9月20日から流された。それを見た感度の鋭い少年少女たちが、少数ながらも衝撃を受けたのだった。
高橋幸宏は、「ジョージ・ハリスンがギターを持ってピョンピョンはねている姿に妙に興奮した」と語っていた。
杉真理も「女の子がギャーって泣き叫ぶシーンと演奏シーンが使われていて……それ観て『カッコイイ!』」と感じたという。
当時500円で4曲入りのコンパクト盤というレコードが出ていたのですが、お小遣いをつぎ込んで買い集めてた。ビートルズの情報がたくさん載る「ミュージック・ライフ」という雑誌も購読していました。田舎だったので、東京なんかより1カ月遅れて届くんですよ。それを隅から隅まで読んで、いつか絶対イギリスに行ってやるんだと思ってましたね。
島根県出雲市の出雲大社の前にある老舗の旅館に生まれた竹内まりやは、音楽が大好きで、小学生になると家のステレオの前に座ってレコードを聴いていた。ザ・ピーナッツにもはまり、小学校低学年の頃から一つ上の姉と一緒に「ふりむかなぁ~いでぇ~」とハモッていた。
1966年6月30日、ビートルズが来日公演を行なった日本武道館には1万人近くの若者が集まった。しかしまだ小学生だった竹内まりやは、涙をのむしかなかった。
「なぜ私は(コンサートがある)武道館に行けないの」って、家でさめざめと泣いたのを覚えています。コンサートの模様をテレビで見て、東京に住んでいたら絶対あそこにいたのにって。
ビートルズとの衝撃的な出会いから20年の月日が流れて、シンガー・ソングライターになった竹内まりやは、山下達郎との結婚によるブランクを経て、1984年のアルバム『ヴァラエティ』で、ビートルズへの気持ちを綴った「マージービートで唄わせて」を歌っている。
その当時の胸の高まりがビートルズの時代のサウンドで溢れてくる、ストレートなオマージュソングで、間奏のオルガン・ソロも竹内まりや自身の演奏だ。
ビートルズの衝撃は、竹内まりやにとって音楽における体験だけにとどまらなかった。英語を学ぼうとも思ったのも、海外に留学してみようと思ったのも、ビートルズとの出逢いから始まった。
衝撃を受けた音楽をどう自分のものにするのか、それはその人が持っている音楽の力なのかもしれない。
(注)竹内まりやさんの言葉は、朝日新聞連載(人生の贈りもの)「シンガー・ソングライター、竹内まりや:2 ビートルズに衝撃、英語に興味」2014年9月2日号からの引用です。
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