「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」に受け継がれた「上を向いて歩こう」のエッセンス

ザ・ピーナッツが1962年に発表した「ふりむかないで」は、オリジナル・ソングとしては最初のヒット曲である。 1959年に4月に「可愛い花」でレコードデビューした…

Extra便

1960年代から海外進出の夢に挑戦してきたザ・ピーナッツの軌跡

渡辺プロダクションという会社を設立した時から、渡邊晋社長と美佐副社長は「日本の音楽を世界に」という夢を掲げていた。 だから日本国内におけるビジネスの足場が固まっ…

TAP the SONG

蘇った歌の系譜①カヴァー曲「コーヒールンバ」がヒットしたことで発見された「アカシアの雨がやむとき」

西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は1960年4月、ポリドール・レコードからシングルが発売された。 その片面には原田信夫が歌った「夜霧のテレビ塔」という曲が…

TAP the DAY

「抱きしめたい」を聴いた瞬間、ビートルズ拒否から快諾に転じたデイブ・デクスター・ジュニア

アメリカのシングルチャートで、ビートルズが1位から5位を独占するという快挙は、ビルボード誌の1964年4月4日号でのことだ。 1位 「Can’t B…

TAP the SONG

意味不明の歌詞でも大ヒットした森山加代子の「じんじろげ」は中村八大による多国籍ポップスの傑作

日本における”変な歌”の歴史において筆頭格、まるで意味不明な歌詞にもかかわらず1961年に大ヒットした「じんじろげ」は、インドが発祥地と…

TAP the SONG

アメリカ修行中に恩師の力道山が刺されて死んだという知らせを受け取ったジャイアント馬場の孤独を癒やした歌

ジャイアント馬場が力道山の死を聞かされたのは、1963年の12月の中旬のことだった。 アメリカに長期滞在して2度目の武者修行中だった馬場は、その頃からテロの恐怖…

TAP the SONG

フォスターが書いたアメリカに伝わる究極の哀歌が21世紀になって歌われ始めたのは何故か?

ここ最近になって世界でも日本でも、さまざまなシンガーによって歌われているのが、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)…

TAP the STORY

27歳になった大瀧詠一を待っていたのは、地獄の責苦のようなハード・スケジュールだった

1975年6月9日にスタートした大瀧詠一のDJ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ(GO! GO! NIAGARA)』は、1978年9月25日まではラジオ関東で、197…

TAP the SONG

来日公演でジーン・ヴィンセントが歌った「オーバー・ザ・レインボウ」の静かな衝撃

映画『女はそれを我慢できない』が1957年に日本で公開された時、たくさんの若者たちの目を釘付けにしたのは、動くロックンロールの強烈な衝撃だった。 なかでも評判に…

TAP the DAY

世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 後編

第3章 作詞家の内なる「挫折」 「六・八コンビ」のソングライティングには、特別の取り決めがあった。 永六輔がこう語っている。 普段僕らが使っている言葉だけで歌詞…

TAP the DAY

世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 前編

第1章 中村八大30歳、永六輔28歳、坂本九19歳 1961年7月21日の午後、東京・大手町の産経ホールでは人気ジャズ・ピアニストにして第1回日本レコード大賞受…

TAP the STORY

かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバ…

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