「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

タウンズ・ヴァン・ザント〜放浪人生を歩み続けた伝説のアウトロー・ミュージシャン

タウンズ・ヴァン・ザントと巡業と放浪の人生 耳を傾けていると、本物の音楽とは何かという想いをそっと心に届けてくれるアーティストがごく稀にいる。そういう人は例外な…

Extra便

歴代最高視聴率81.4%を記録した紅白歌合戦で歌われた「見上げてごらん夜の星を」と、坂本九が非難された「君が代」事件

ツイスト・ブームを頂点に、カヴァー・ポップスが人気のピークを迎えた1961年から63年。東京オリンピックを間近にした日本では、意外にも社会の趨勢とは逆に、復古調…

Extra便

追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー

RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしまっ…

Extra便

アルバム『原子心母』の帯に書かれた名文句「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」

1960年代後半に洋楽マンとしてのキャリアをスタートさせた石坂敬一は、東芝音楽工業株式会社(東芝レコード)へ入社してまもなくビートルズ担当のアシスタントとなり、…

Extra便

1961年製のテレキャスターに出会って生まれ変わったポリスのアンディ・サマーズ

パンク・ムーブメントが吹きまくっていた1970年代半ばのロンドン。ジャマイカ生まれのレゲエの持つ原初的なエネルギーをポップ・ミュージックの構造に組み入れて、それ…

Extra便

時代を超えて登場した大滝詠一のニュー・アルバム『DEBUT AGAIN(デビュー・アゲイン)』の驚き

はっぴいえんど解散からソロとなった大滝詠一が、日本で初めてのミュージシャンズ・レーベル、ナイアガラを設立したのは1974年9月のことだった。 自らのプロデュース…

Extra便

小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」

大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのは、「エルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったから」だと思い込んでいたという。 だが、…

Extra便

イラストレーターの永井博による絵本の企画から始まった大瀧詠一の『ロング・バケイション』

『A LONG VACATION(ア・ロング・バケイション)』というアルバムは、当初は“夏のアルバム”として企画されたものだった。 きっかけとなったのはCBSソ…

Extra便

ロシア文学からアメリカで生まれた「花はどこへ行った」が日本で歌い継がれてきた歴史をたどる

今は幻となった満州国で最大の都市だったハルビンは、帝政ロシアが開発した多民族が暮らす国際都市だった。その地で生まれた加藤登紀子は、戦後日本に帰ってからも、「暗…

Extra便

「パイド・パイパー・ハウス」はなぜ伝説のレコード・ショップとなったのか?

南青山にあった伝説のレコード・ショップ「パイド・パイパー・ハウス」は、1975年11月にオープンしてから足かけ14年間の営業で1989年6月に閉店した。 日本で…

Extra便

ビート文学発祥の地と呼ばれるサンフランシスコを初めて訪れたクラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズ

クラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが、初めてアメリカのサンフランシスコを訪れたのは1978年の夏である。目的はセカンド・アルバム『動乱-獣を野に…

Extra便

クラッシュのジョー・ストラマーが地下鉄で日本人の若者に残した言葉

ロンドンの地下鉄の駅で偶然に、カメラマンのハービー・山口がジョー・ストラマーと出会った時、瞬間的にとった行動とその直後に体験したエピソードを紹介したい。 197…

1 / 3212345...>>

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ