「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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2006年の夏に「誰が歌謡曲を殺したか」という、遺言のようなエッセイを発表した阿久悠

2006年7月1日、東京新聞にひとつのエッセイが掲載された。 タイトルは「誰が歌謡曲を殺したか」という、いささか刺激的なものだった。これを書いたのは作詞家の阿久…

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リサイタルで完璧なオーケストラ・ヴァージョンとしてうたわれた美輪(丸山)明宏の「ヨイトマケの唄」

シャンソン歌手の美輪明宏は1957年にデビュー・シングル「メケ・メケ」をヒットさせてスターになったものの、同性愛者であることを隠さなかったためにバッシングにあっ…

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山川啓介が太陽に託したメッセージ「悲しみの夜がつづいても  君は負けずに朝を待て」

長野県の出身だった作詞家の山川啓介の本名は井出隆夫、早稲田大学第一文学部に在学中からミュージカルの制作などに携わり、卒業後は作曲家のいずみたくのもとでレコードや…

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オジー・オズボーンとランディ・ローズ〜運命のオーディション

失意のオジー・オズボーンに希望を与えたランディ・ローズ 1979年、オジー・オズボーンはブリティッシュ・ハードロックの伝説的バンド、ブラック・サバスに愛想を尽か…

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追悼・平尾昌晃~ロカビリー・ブームの立役者でNo.1シンガーだった20歳の平尾昌晃

日本にロックンロールが上陸したのは、映画『暴力教室』が公開された1955年8月21日と言っていいだろう。非行化防止のために青少年に観覧させないようにと、当時の文…

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起業家リチャード・ブランソン伝説①〜ヴァージン・レコード設立

起業家リチャード・ブランソンとヴァージン・レコード 「ねえ、ヴァージンっていうのはどう? 私たちってビジネスに関してはまったくのヴァージンでしょ?」 1970年…

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追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

1937年1月30日に長野県で生まれた常田富士男は、6歳のときに父親を戦争でなくした。それから各地を転々とした後、小学3年時より母の郷里となる熊本県阿蘇郡南小国…

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激しい雷雨で伝説となった後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード来日公演

日本のロック伝説のひとつとして今なお語り草になっているのが、雷鳴が轟く豪雨の後楽園球場で行なわれたグランド・ファンク・レイルロードのライブである。 それは197…

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追悼・大橋巨泉~小学生の細野晴臣がいつも聴いていたラジオ『昨日のつづき』

中学時代から俳句をたしなんでいた大橋克己は、高校生のときに俳号で「巨泉」を名乗り始めて、それがそのままペンネームと芸名になった。 1950年代の後半から大学生の…

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ボブ・ディランに「ノー!」とは言えず、リッチー・サンボラが譲り渡したマーティンD-18

エルヴィス・プレスリーが初期の頃に使用していたギターでもっとも有名なのは、1955年の前半にステージで使っていたマーティンD-18だろう。 1956年3月に発売…

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大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

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2人だけで結成されたホワイト・ストライプスの真骨頂、カントリーをガレージ・ロックにした「ジョリーン」

アメリカの音楽サイト「Diffuser.com」はかねてより、<ベックのベスト・ソング TOP10>や<レディオヘッドのベストソング TOP10>といったリスト…

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