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追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

2024.07.17

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1937年1月30日に長野県で生まれた常田富士男は、6歳のときに父親を戦争でなくした。それから各地を転々とした後、小学3年時より母の郷里となる熊本県阿蘇郡南小国町で育った。

わずか18軒しか民家がない小さな村で家族は母親と姉弟が7人もいたために、食い扶持を減らす目的で幼い頃から近所の農家に手伝いに行って、炭焼や椎茸作りをして働いていた。

中学卒業後は熊本市に出て印刷所、魚屋、材木屋で働きながら、熊本県立済々黌高等学校の定時制にかよって4年後に卒業した。

その後は上京してサンドイッチマン、キャバレーの呼び込み、後楽園の警備員、寿司屋の見習い、日雇い人夫などをしながら、劇団民芸の養成所に入って芝居の道に進んだ。チャップリンの映画『街の灯』を見て、おおらかで悲哀がある演技に感激したという。

そしてNHKの連続テレビドラマ「バス通り裏」などに出演した後に、1963年に公開された反体制ミュージカル時代劇を映画化した、東映映画『真田風雲録』に出演して一部で注目を集めることになる。

時代劇のルールを無視したあまりに実験的すぎる表現が多かったことから、公開時には観客から劇場に不満の声が寄せられたという『真田風雲録』だが、必ずしも傑作とは言えない点もふくめて、後に映画青年たちの間で語り継がれて伝説となった。

特に評判になったのは、主題歌だった。


戯曲家の福田善之が書き下ろした作品の初演時から、常田は「真田十勇士」のひとり、どもりの伊三(いさ)の役で舞台に出演していて、そのまま映画にも採用された。

そしてジェリー藤尾やミッキー・カーチスといった面々とともに、映画のなかで不思議な存在感を放ったのだ。常田はこれによって個性的な舞台の脇役として、今村昌平や市川崑、若松孝二といった監督のもとで活躍し始める。

「いや、ラッキーだったんでしょうね。せっかちで薄情な世の中、俺より素晴らしい人がたくさんいるもの。そんな中で、俺のいいところを見て育ててくれた人には感謝している。どんな場所で働いていても、見てくれる人は見てくれるんだよ、うん」


1983年のカンヌ映画祭でパルム・ドールに選ばれた映画『楢山節考』にも常田を起用した今村が、俳優としての魅力を端的にこう語っていた。

「どんな人物を演じても、トキタ色がプンプンするように見えるんですが、出来上がったものを見ると、どれも微妙に違っているんです。亡くなった殿山泰司に通じる独特の個性を持った、数少ない貴重な役者だと思いますね」


舞台を愛した常田は1969年に米倉斉加年らと劇団青年芸術劇場(青芸)の結成に参加、劇作家・別役実の『象』(1965年)等で主演している。

また古林逸朗の演劇企画集団66にも参加し、『堕天使』(1966年)、『赤い鳥の居る風景』(1967年)、『スパイものがたり』(1970年)など、数多くの別役実作品を30年以上もの間、年に2回づつ上演してきた。

別役作品に出会ったことについて、常田はこのように心情を述べていた。

「当時は学生運動の影響で、拳を振り上げるような力んだ芝居が傾向として多かったんです。挫折という言葉が流行ったりしててね。でも僕はそんな時代の雰囲気にはどこが溶け込めなくってね」

「別役さんの作品には、生きることの悲哀ややさしさについての、深い問いかけが込められているんです。別役作品を上演するということは、僕自身の人生への問いかけでもあるのです」


なお常田が1970年に主演した『スパイものがたり』からは、小室等と六文銭の「雨が空から降れば」というスタンダード・ソングも誕生している。

〈参照コラム「雨が空から降れば」~アメリカから輸入されたフォークソングに日本の演劇や現代詩を結びつけた小室等〉

そうした舞台での活動と並行して、テレビからも人気が出始めたのは1969年のことで、秋から1年間放送されたギャグ番組『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』へのレギュラー出演がきっかけだった。

そして4年後にはギャグを活かした幼児向け教育番組『カリキュラマシーン』で、子どもたちやお茶の間の関心をも集めていくことになった。

さらには市原悦子と共に声優を務めたアニメ『まんが日本昔ばなし』(1975~1994)が長寿番組になったことによって、その存在感を不動のものへとしていったのである。

ところでミュージカル『スパイものがたり』などでも歌を披露していた常田だったが、歌手としては1970年10月に出した「私のビートルズ」が唯一のシングル・レコードとなった。ちなみにこの年の春、ビートルズは実質的に解散していた。


サイケデリックなタッチのナンセンスな歌詞を書いた吉岡オサムは、1966年に美空ひばりの「真っ赤な太陽」で大ヒットを放ったが、その後は千賀かほるの「真夜中のギター」がヒットしたくらいで、どんな歌を書いたらいいのか将来について迷っていた時期の作品だったらしい。

だが吉岡はこの作品の半年後、日活映画『八月の濡れた砂』の主題歌を頼まれて、石川セリが歌った「八月の濡れた砂」という名曲を書き上げることになる。

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