究極の音楽映画ともいえる『八月の濡れた砂』だが、リアルタイムで公開された1971年の8月にはまったくといっていいくらい、劇場に観客が足を運んでくれなかったのは事実である。
しかし映画マニアだった一部の大学生たちの間で、口コミで次第に評判が高まっていったのは公開が終わって、2番館で上映された秋頃からのことだった。
TBSラジオの深夜放送でパーソナリティを務めていたアナウンサーの林美雄に発見されたことで、ラジオのリスナー間で話題になったのはさらにその後だった。
主題歌の「八月の濡れた砂 」が陽の目を見ることになったのは、映画が公開されてから数カ月が過ぎた翌年の春に、石川セリのレコードが発売されたからである。
そこから石川セリという歌手のが誕生し、世に知られていくことになった。
林は一般のテレビ番組やラジオでは紹介されない映画、演劇、音楽を取り上げることに心血を注ぎ、自分の番組を通してこの映画を熱く語リ続けた。
だから石川セリが歌うテーマ曲を毎週のようにかけ続けることで、世間の注目を集めるまで持っていったという意味で、貴重な発見者なのである。
映画『八月の濡れた砂』(監督・藤田敏八)は夏の湘南を舞台に、若者たちの無軌道な生き方が描かれた作品だが、鈴木清順監督のブレーでもあった鬼才、大和屋竺が脚本家として名を連ねているだけあって、さまざまな暗喩が散りばめられて解釈を妨げるような物語で、登場人物の誰にも観客が共感できないように設定されてあった。
夏場だけ海水浴客で賑わいをみせる町は、実は生活臭に満ちた野暮ったい田舎でしかない。
刺激と自由を求めてもがく若者たちは、誰一人としてカッコ良くなんかない。
出口の見えない青春という時期に苛立ち、鬱屈を抱えているのは男も女も変わりない。
70年安保闘争の敗北によるしらけムードに覆われていた時代に、何かしら生きている手応えを確かめたいという理由だけで、思いつきで善悪を無視した行動に走る若者たちのストーリーを追っても、理解することは不可能なのである。
その時代の空気感や重苦しさを体験していない人は、観ても戸惑うか、呆れるかしかないだろう。いや、もしかすると怒るかもしれない。
そんな中で最後の最後に流れる音楽が実にいい。
地中海や南フランスを思わせる乾いた音色の中で、愁いに満ちた石川セリの歌声だけがわずかな希望と救いを感じさせる。
楽しくもなんともない現実、最初から盛り上がらない話、卑怯な大人たちと無様な若者たち……。
すべてが中途半端で不完全燃焼、何の興奮も感動も与えることなく、映画は不完全なままラストを迎える。
ところが海に浮かんだ白いヨットのキャビンの壁が、真っ赤なペンキで塗られていくあたりから、画面は突然のように緊迫感を帯びてくるのだ。
やがてライフルで撃ちぬかれた穴からは海水が船室に流れ込んで来て、相模湾に浮かぶヨットを空中から俯瞰で捉えた映像に、死の予感が漂っていくなかでエンディング・ロールが流れると、テーマソングのイントロが重なってくる。
ストーリーを追うことにしか興味がなかった昔の観客ならば、このタイミングで席を立つところだろう。
しかし、そこからが実はこの映画のクライマックだった。
8分の6拍子のリズムに乗せて、印象的な民族楽器のアルバが鳴るなかで、実にアンニュイな石川セリの歌が始まる。
楽器と歌声、歌詞が渾然となって生じる音楽の力、そこから立ち昇ってくる快感が続く。
夏の太陽が照らす目映い光とそこに生じる陰影から生まれた物語は、映画という20世紀文明特有のまやかしなのかもしれない。
だが画面とともに流れてきた歌と音楽、そして記憶された映像のいくつかはまぎれもない本物であった。
映画館を出て日常に戻ってからも、頭の中でメロディと歌詞がリフレインされることによって、わかるひとにだけそのことが伝わるという、なんとも不親切な音楽映画には今でもファンがいる。
(注)本コラムは2014年8月8日に公開されました。