キャロルが解散した1975年の秋に発表された矢沢の1stアルバム『I LOVE YOU、OK』は、かつてのファンの間では賛否両論を巻き起こした。
粗削りながらもエネルギッシュでカリスマ的なロックンローラー、そんなキャロル時代の矢沢永吉を期待していたファンにとって、全曲ロスアンゼルス録音によるアルバムは大人びていて、いささか戸惑いを感じさせられるものだった。
だが矢沢はキャロルの幻影を追うファンよりもはるかに現実的で、未来を見据えて新しい一歩を踏み出していたのだ。
『I LOVE YOU、OK』のプロデューサーは、『ゴッドファーザー』を代表作としてハリウッドの映画音楽を手掛けてきたトム・マックだ。LAの名門であるA&Mスタジオで録音されたサウンドは普遍的で、21世紀になった今もまったく色褪せてはいない。
1976年に発表した2ndアルバム『A DAY』で、矢沢は初めてセルフ・プロデュースを手がけている。タイトル曲の「A DAY」や「親友」などのバラードは、若さと勢いのロックンローラーから、時代を超える歌をうたえるシンガーへの成長を印象づけるものだった。
3rdアルバムの『ドアを開けろ』は1977年の春に発表されたが、ソロとなってからのイメージを決定した矢沢ワールド全開の作品となった。落ち着きが出て不敵な面構えのジャケット写真からは、確かなものを掴んだという自信が伝わってきた。
シングル・カットされた「黒く塗りつぶせ」はヒットしなかったが、矢沢は日本武道館で初めてソロ・ライブを行うまでになった。8月26日のコンサートは超満員で入場できなかった2000人が、漏れ聞こえてくる音を外で聞いて歓声あげていた。
アルバムの最後を飾った「チャイナタウン」は、その頃から「きっと時代を超えた名曲になる」とリスナーたちの間で語られ始めていた。
横浜を舞台にしていながらも、矢沢の歌からはどこかしら、アメリカの都市にあるチャイナタウンを彷彿させられる。最後にオーティス・レディングの名曲「ドック・オブ・ザ・ベイ」が出てくることや、全体に懐かしさを感じさせるサウンドの効果によるものだろう。
もちろんロスアンゼルスという街を主題にしたハードボイルド映画、『チャイナタウン』(監督・ロマン・ポランスキー 主演・ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ)とのつながりも感じられる。そこからさらにたどっていけば、レイモンド・チャンドラーが生んだハードボイルド・ヒーロー、探偵フィリップ・マーロウにまで行き着く。
ハワード・ホークス監督による映画『三つ数えろ』でフィリップ・マーロウを演じたのは、ボギーことハンフリー・ボガードだった。沢田研二が「カサブランカ・ダンディ」で、”あんたの時代は良かった”と歌ったボギーである。
ジャケット写真で矢沢がかぶっている中折れ帽から、そうした男たちのイメージが浮かび上がってくる。
「チャイナタウン」を作詞した山川啓介は、1972年に青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌『太陽がくれた季節』(歌・青い三角定規)がヒットチャート1位になり、作詞家として大きな注目を集めた。しかしその印象があまりに強すぎて、そこから“青春歌謡作家”というレッテルをはがすのに苦労したという。
そんな山川に着目したのが荒野に立ち向かうように、自らがロック・シーンを切り拓いていた矢沢だった。松本隆や西岡恭蔵といった新しい表現者たちに作詞を依頼していた矢沢は、「無名でもいいから、詞は俺の思いを伝えてくれる奴に頼みたい」と考えていた。
山川がこう語っている。
「そのころ僕は、ジャズドラマーの猪俣猛さんのリサイタルで構成を担当していて、猪俣さんに依頼されてある洋楽曲の訳詞を書いたのですが、その歌のことを、バックバンドのギタリストだった水谷公生さんが矢沢さんに「こういうのを書く奴がいるよ」と話してくれたんです。矢沢さんが会ってみたいということで呼ばれまして、書かせていただくようになりました。アルバム『A DAY』に書いた『親友』が最初だったでしょうか。いわゆる青春ものとは違う僕らしいものが書けたことは、大きかったと思います」
(「作家で聴く音楽」 山川啓介 – JASRAC http://www.jasrac.or.jp/sakka/vol_31/inner1.html)
送られてきた英語の仮歌が入ったデモテープを聴いた山川は、サウンドとしての英語からノリを感じとって、センテンスとしての意味はなくても、矢沢が伝えたい思いを考えながら詞を書いたという。
国際都市にあるチャイナタウンをひとり往く男、どこかから聞こえてくる「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、かぶっているのは中折れ帽子、それらが横浜でありながらもロスアンゼルスでもあるかのように思わせるのだろうか。
矢沢は翌年の春、山川啓介の詞によるシングル「時間よ止まれ」で、初めてヒットチャート1位を獲得することができた。「チャイナタウン」はそのB面に収録されたことによって、矢沢の代表作として認められて、スタンダード・ソングになった。
(注)本コラムは2016年2月12日に公開されたものの改訂版です。
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