キングトーンズの「グットナイト・ベイビー」がアメリカで発売になり、全米R&B部門で48位にランクされたのは1969年のことだ。
基本的に黒人音楽しかランクされない「Rhythm&Blues」のカテゴリーで、日本のアーティストがチャート・インしたのは、1963年に全米HOT100でも1位に輝いた「SUKIYAKI(スキヤキ)」の坂本九に続く出来事だった。
「グットナイト・ベイビー」の作曲者はむつひろしとクレジットされているが、それがポリドール洋楽課に勤務していたディレクターの松村孝司が使っていたペンネームのひとつだ。
松村は日本語のオリジナルR&Bのレコードを制作したいと思って、米軍キャンプを回ってキャリアを積んできたベテランのキングトーンズをレコード・デビューさせることにした。
そして自分で作曲とプロデュースを担当しながら1968年に「グットナイト・ベイビー」を発表し、時間がかかって翌年になってからヒットしたのである。
松村はその後、和田アキ子の「どしゃぶりの雨の中で」(小田島和彦・名義)、浅川マキの「ちっちゃな時から」(むつひろし)、石川セリの「八月の濡れた砂」(むつひろし)と、ジャズコンサートやドゥーワップ、R&Bの魅力を活かした楽曲作りで、個性的なヒット曲を作っていく。
そして1972年にプロデューサーとして独立した松村は、ポリドールと提携しながら制作を続ける中で、以前から試してみたかったアイデアに取り組むことにした。日本調のド演歌にハーモニーをつけて、それを男女のデュエットに歌わせるという企画だった。
泥くさいといわれる”ド演歌”に、西洋的なハーモニーを付けるなど、それまで誰もやったことがなかった。しかし、松村は時代遅れと思われていた”ド演歌”あっても、ハーモニーから新しい音楽が生まれるのではないかと考えた。
そのために歌詞はあえてありきたりの通俗的なものしして、一見すると凡庸だとしか思えない作品を作っていく。どこにでもありそうな歌詞でも、男女がハモって歌うことによって、魅力的になるのだということを証明したかったという。そして一年以上もの時間をかけた試行錯誤の末に、歌詞とメロディは完成したのだった。
松村は苦労を重ねていて、しかも日の目を見ていない無名の歌手を探した。選ばれたのは二人の前座歌手だったが、デビューにあたって”さくらと一郎”と名付けらた。
ありふれたその名前はあがた森魚が2年前に歌ってヒットした「赤色エレジー」の主人公、”幸子と一郎”にヒントを得たと思われる。
<参考>変な歌や訳がわからない歌の代表格、あがた森魚の「赤色エレジー」
そもそも松村が”演歌をハモらせよう”と閃いたのは、「赤色エレジー」に触発されたという可能性が高かった。そういえば「赤色エレジー」にならって、ジャケットも”絵”でいくことにしたのだと言っていた。
松村が注目していたイラストレーターは、東京大学駒場祭のポスターで注目された学生の橋本治だった。後に作家として大成する橋本だが、当時はまだ文筆の道に入ったばかりで無名の若者である。だが、無名にこだわっていた松村の希望した通りに、橋本治は様式美を感じさせるド演歌的な”絵”を書いてきた。
こうして演歌では不可能といわれていたハーモニーを持つド演歌が、1974年7月21日にレコードになって発売されたのだ。スポーツニッポンの記者だった小西良太郎は、「男と女の声が、ハモリながらかけ違うサビのあたり、えもいわれぬわびしい情緒あって、ふしぎな歌だ」と好意的に批評していた。
報知新聞の伊藤強も次のように評していた。
男女がそれぞれで違うメロディの演歌をうたっているという感じなのである。これがとても奇妙なふんいきを作りあげ、”ヘンな歌だな”という気をおこさせる。この”ヘンな”というのは、決して否定的なニュアンスではなくて、むしろ面白さに通じるものなのだ。
しかし「昭和枯れすすき」のレコードは当初、まったくと言っていいほど売れなかった。その”ヘンな歌”を世間にアピールして大ヒットに結びつけたのは、テレビドラマの演出家だった久世光彦だ。
しばらく前から、気になる歌があった。歌のタイトルも、歌っている歌手もわからないが、それは奇妙な歌だった。ポップスならともかく、演歌なのに男女でハモっているのだ。演歌の二重唱なんて、聞いたことがない。
ざわざわしている麻雀荘で聞いた暗い歌が妙に耳に残った久世は、自分がプロデュースするドラマのなかの挿入歌で使おうと決めた。ドラマのタイトルは『時間ですよ・昭和元年』だったので、歌が「昭和枯れすすき」とくれば、これ以上ないハマりだと思ったのだ。
10月からドラマがスタートしても、しばらくの間は何の反応も出てこなかった。ところが年の瀬の頃からじわじわとレコードが売れ始めて、年が明けるとポリドールには注文が殺到し、プレスが間に合わないほどになった。
最終的に「昭和枯れすすき」は150万枚を売り上げるという記録的なヒットになり、音楽には魔法が起きることが見事に証明された。松村孝司と久世光彦、ほんもののプロデューサー同士の鋭い感性が、阿吽の呼吸でつながった結果だった。
「昭和枯れすすき」
「グッド・ナイト・ベイビー」
(注)久世光彦の引用は「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」文春文庫の387ページからです。
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