「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the STORY

私たちは手をとりあって、よくわからない〈テレビ〉という暗闇の中を進んでいった黒柳徹子~

黒柳徹子には小学校のときから、なりたいものがいろいろあった。バレリーナ、幼稚園の保母さん、従軍看護婦、スパイ、競馬の騎手。 だが香蘭女学校を卒業後にはオペラ歌手…

TAP the SONG

黒柳徹子が独特な持ち味を発揮し始めた伝説の番組『夢であいましょう』

耳で歌を聴くだけではなく、目でも音楽を楽しむ。 そんな生活が身近になったのは、1960年代前半にテレビが一般家庭にまで普及したおかげだった。 衣食住の心配が少な…

Extra便

日本で最初のシンガー・ソングライター美輪明宏が歌った「愛の讃歌」

「メケ・メケ」を日本語でカバーした丸山明宏は、1957年にシャンソンを歌い上げる美貌の青年として登場した。メディアにたびたび取り上げられた22歳の丸山明宏は、作…

Extra便

アメリカで大ヒットした「上を向いて歩こう」に付けられたタイトル「SUKIYAKI」の由来について

日本から世界へと言葉の壁を超えて届けられた最初の歌が、1963年に全米1位のヒットを記録した坂本九の「上を向いて歩こう」だったことは良く知られている。 だが19…

TAP the DAY

NYのシェイ・スタジアムのマウンドで日本初の大リーガーに歌われた「上を向いて歩こう」

1964年9月1日はニューヨークのシェイ・スタジアムで、史上初の日本人大リーガーが誕生した記念日である。 サンフランシスコ・ジャイアンツの「マッシー・ムラカミ」…

Extra便

レコーディング中だったアヴィーチーが急に演奏した「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」のメロディ

スウェーデン出身のアヴィーチー(Avicii)ことティム・バークリングは、19歳で世界のトップDJとして認められて、EDMのムーブメントを牽引してきた。 ショー…

TAP the SONG

坂本九の「上を向いて歩こう」に慰められて大量の涙を流した無名時代の阿久悠

中村八大と永六輔コンビの書き下ろしによる「上を向いて歩こう」が、坂本九によって最初に唄われたのは1961年7月21日、「第3回中村八大リサイタル」のなかでのこと…

Extra便

坂本九の「上を向いて歩こう」から20年目に日本でロック・ヴァージョン、アメリカでR&Bバージョンの「スキヤキ」がヒットした偶然

日本の音楽シーンに多大なる足跡を残した「RCサクセション」が1979年、ロックバンドに変わってから最初に発売したシングルは「ステップ」だった。 そのB面に入って…

TAP the SONG

ホウキがギターに早変わり~坂本九と忌野清志郎をつないだエルヴィス・プレスリーの歌やジミ・ヘンドリックスのギター 

教室でホウキがギターに早変わりする、そんなイカした行為を始めた少年たちや、それを受け継いだ少年の話を紹介したい。 アメリカでロックンロールが生まれた時から、ホウ…

TAP the SONG

日本のコマソンはカッコわるいと思っていた小林亜星の出世作となった「レナウン・ワンサカ娘」

1961年にCMソングとして誕生して以来、かまやつひろしの歌唱によって始まったテーマソング「レナウン・ワンサカ娘」は、敗戦から復興しつつあった日本の高度成長期の…

TAP the SONG

「東京五輪音頭」のヒットをめぐる勝者と敗者 ④ 明快に分かれたその後の運命

本命と見られていた三橋美智也の「東京五輪音頭」が大きく出遅れたことで、一気に台頭してきたテイチクの三波春夫のヴァージョンが、最初にヒットし始めた。 そのことによ…

TAP the SONG

「東京五輪音頭」のヒットをめぐる勝者と敗者 ③ レコード会社によるプロモーションの温度差

前回の記事から、三波春夫の「東京五輪音頭」がなぜ大ヒットしたのか、その要因はおおむね理解できただろう。 だが結果的に敗者となった三橋美智也の極端な不振に関しては…

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