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日本文化を取り入れて新たな進化を目指したデヴィッド・ボウイの初来日公演

2024.01.09

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「これまでのどんなツアーの時よりも、僕は肉体性の動きがはっきり出るように演った」


デヴィッド・ボウイが初めて日本の地を踏んだのは、1973年4月5日のことだった。
前の年にリリースしたアルバム『ジギー・スターダスト』は、全英チャート5位にまで登りつめてイギリスでの人気を不動のものにした。

コンセプチュアルなアルバムの内容は、架空のロック・スター、ジギーの栄枯盛衰を描くというものだった。
ボウイはツアーで自らジギーに扮してステージに上がり、多くの若者が感化されてそのファッションを真似した。

幼少期から日本の文化に強い興味を抱いて、芸術やファッションから強い影響を受けてきたボウイにとって、日本に行くことは長年抱いてきた夢だった。

来日した翌日、ボウイはファッションデザイナー山本寛斎の事務所へと向かう。
ビデオで日本で催されたファッション・ショーを見て寛斎のファンになり、歌舞伎などの伝統演劇を取り入れた衣装を何点か注文していたのだ。

出来上がった衣装の中でボウイの目に止まったのは、歌舞伎の「引き抜き」と呼ばれる演出を取り入れた衣装だった。
引っ張ると衣装が外れて中から新たな衣装が現れる仕組みで、ステージ上で瞬時に衣装をチェンジすることができる。
デヴィッドは日本ツアーで、早速この衣装を試した。

日本の観客には言葉が通じないだろうと危惧していたボウイは、劇場性と肉体性に力を入れて派手なアクションやパフォーマンスで、ジギーの世界を表現しようとした。
ステージ上で次々と衣装が変わる度に、会場全体が大いに盛り上がった。

そしてアンコールではついに全ての衣装を脱ぎ去る。
裸同然ともいえるサポーター姿になると、会場のボルテージはピークに到達した。
本人によればこれも日本文化の相撲を意識した表現なのだという。

肉体的なパフォーマンスを追求するあまり、行き過ぎたことも起こった。
3m以上はあろう高さから飛び降りてロック・スターの破滅的な最期を体現してみせた時は、その代償として身体を激しく痛めてしまったのだ。

ともあれ、進化を遂げていくボウイのパフォーマンスによって、日本公演は大盛況となって行く先々で会場を熱狂の渦に包み込むのだった。

ボウイがツアーの合間に足を運んだのは、歌舞伎の舞台だった。
女形のトップとして知られる歌舞伎役者の坂東玉三郎と対面し、直々に女形のメイクアップを教わった。

玉三郎ははじめてボウイに会ったときの印象について、ステージに上がっていないときであってもジギーを演じ続けているということに驚いたという。

「僕は演技が終わったあとはすぐにメイクを洗い流し、元の「自分」の自分に早く戻らないと不安になる。
Bowieはオフでも役柄を演じ続けていて驚いた。自分には理解の及ばない世界だった」

こちらのサイトより引用)

しかし、長時間にわたって別の人格になりきるというのは、かなりの精神的な負担を強いることだった。
それはデヴィッド・ボウイとて例外ではなく、次第にジギーを演じ続けることに苦痛を感じはじめた。
そして来日から3ヶ月後の7月3日、ハマースミス・オデオンのステージでボウイは突如、ジギーからの引退を宣言するのだった。
デヴィッド・ボウイ~ジギー・スターダストとの別れへと続く)


デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』
ワーナーミュージック・ジャパン

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参考文献:
『デヴィッド・ボウイ』ジェリー・ホプキンス著 きむらみか訳(音楽之友社)
『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』ピーター&レニ・ギルマン著 野間けい子訳(CBSソニー出版)

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