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1973 ボウイ、シベリア鉄道の旅

2024.01.09

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スターマンは空で待っている
僕らに会いたがっている
でも、僕らが正気のままでいられるかと
心配してるのさ


1973年。
ミュージック・ライフ誌は表紙に山本寛斎がデザインした衣装に身を包んだデヴィッド・ボウイの写真を載せ、「遂にやって来たスターマン デヴィッド・ボウイ日本に上陸」というタイトルで特集を組んだ。

上陸、というミュージック・ライフ誌の表現は正しかった。
彼は飛行機で羽田空港に降り立ったのではなく、オロセイ号という豪華客船で横浜港の大桟橋に上陸したからだ。

スターマンという星から降ってきた男の苦手なものが飛行機だという話はどこか奇妙な感じがしたが、逆に、雨の横浜港に忽然と姿を現したボウイは、とてもミステリアスに映った。
そして雨に煙る中、赤と紺のチェックのジャケットに赤いスラックスのボウイは、モノクロームの画像の中、ひとり色が塗られた男のように見えた。

日本公演を終えたボウイは、再び、船へ乗るため、横浜港へやってきた。だが、その船の名前には、彼には似合わない文字が並んでいた。

<フェリックス・ジェルジンスキー号>
ロシア語でそう書かれた客船は、横浜港から旧ソ連のナホトカ港へ向かった。

ナホトカ港からどういう手段で移動したかは定かではないが、ボウイはその港町からウラジオストックへ向かっている。
「レッドのボトムスにグレーのコート。髪の色も派手だったと言われている」と、歴史学者でありロシア地図協会のセルゲイ・コルニロフ氏は、ロシアNOWに語っている。

ボウイはヨーロッパの中世史とソ連の現代史に興味を持っていた。だからこそ、UPI通信のロバート・ミュゼル記者を伴って、お忍びでソ連を訪れたのだ。
ボウイたちは、ウラジオストックからシベリア鉄道に乗り、モスクワへ向かった。

「シベリアは信じられないほど雄大だ。壮大な森、川、広々とした平野にそって何日も走った。世界にこれほどの広さの未開の自然が残っていたとは、思いもしなかった」


ボウイは、マネージャー宛の手紙にそう記した。

「シベリアに住む人々が非常に友好的なこと、そしてモスクワに近づくにつれ、人々はより無愛想になっていった」


ミュゼル記者はそうメモに記した。
シベリア鉄道は世界最長の鉄道である。ウラジオストックからモスクワまでの距離、900キロ。モスクワに到着するまでに7本の時間帯を越え、7日間走らなければならなかった。

そしてようやく着いたモスクワ。
ボウイの音楽がまだ禁止されていた時代。
モスクワの人々にとって、ボウイはまさに空から降ってきた男のように見えたに違いない。

スターマンは空で待っている
僕らに会いたがっている
でも、僕らが正気のままでいられるかと
心配してるのさ


(このコラムは 2016年1月14日に公開されたものです)



デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』
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