ニューヨーク・ドールズが結成されたのは1971年のことだ。
リック・リヴェッツとアーサー・”キラー”・ケインのバンド、アクトレスに、ボーカルでギターのジョニー・サンダースとドラムのビリー・マルシアが加わり、ジョニーがフロントに立ちたくないという理由から新たにデヴィッド・ヨハンセンを招き入れ、初期のラインナップは完成した。
結成から間もなくしてリックに代わり、ジョニーとビリーのバンド仲間だったシルヴェイン・シルヴェインが加入。翌1972年の秋にはレコード会社との契約の話が舞い込んだ。
ところがその直後にビリーが亡くなってしまう。パーティー中にアルコールと鎮静剤で意識を失ってしまい、ファンが水風呂に入れて無理矢理コーヒーを飲ませた結果、喉につまらせて窒息してしまったといわれている。
バンドは急遽新たなドラマーのオーディションを行い、ジェリー・ノーランが新たなメンバーとなった。
そして1973年に1stアルバム『ニューヨーク・ドールズ』、翌1974年には2ndアルバム『悪徳のジャングル』をリリースする。ファンや一部のメディアからは高く評価されたものの、残念ながらセールスには繋がらなかった。
メンバー間でのトラブルやドラッグの蔓延により、ドールズは早くも限界を迎えてしまう。
1975年にはヨハンセンと揉めたジョニーとノーランが脱退、残されたメンバーは再び活動を再開したが、1976年12月30日のステージを最後にバンドは解散。メンバーはそれぞれ別の道を進むことになるのだった。
ジョニーとノーランは、同じタイミングでバンドを抜けた元テレヴィジョンのリチャード・ヘルらとともにハートブレイカーズを結成、活動場所をロンドンに移した。
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デヴィッドはソロに転向して成功を収め、シルヴェインは自身のバンド、クリミナルズを結成、デヴィッドのレコーディングにも時折参加した。
一方でベースのケインは、しばらく音楽活動を続けたが、ソロで成功を収めたデヴィッドとの格差に苛まれる中でうつ病、アルコール中毒となり、ついには2階から飛び降りて大怪我をしてしまう。
その後ケインはモルモン教へと改宗し、音楽業界から離れて図書館員として静かに暮らすのだった。
2004年、そんな彼らに再結成してロックフェスに出演してほしいとオファーを出したのはモリッシーだった。
ジョニーはドラッグの過剰摂取によって1991年に亡くなり、その翌年にはノーランが脳卒中で亡くなっていた。
残された主要メンバーはわずか3人で、しかもケインは音楽から離れてブランクがあるなど、問題は山積みだった。
それに加えてケインとデヴィッドは、確執を残したまま何十年も会っていなかった。
ケインはデヴィッドが本当に自分とまたバンドを組む気があるのか気がかりだったが、モリッシーから「ファンが望んでる。実現すれば最高のライヴになる」と説得され、コンサートに出演することに同意する。
リハーサルで約30年ぶりの再会を果たしたデヴィッドとケインは、過去のことを水に流して抱擁を交わした。
2004年6月16日、フェス初日を迎えた会場のロイヤル・フェスティバル・ホールには、大勢のドールズ・ファンが集まった。
その中にはリアルタイムで知っていたファンだけでなく、後追いでドールズを知ったファンも大勢いた。
70年代の伝説のバンドがどのようなパフォーマンスをするのか、かつての輝きを再び目にすることができるのか、あるいは年老いたみっともない姿が晒されるのか、ファンの間では期待と不安が渦巻いていたが、どちらにせよそれだけドールズに対する関心は高かった。
しかし彼らが見せたのは、円熟しつつも衰えを感じさせない、力強いロックンロールであり、新しいニューヨーク・ドールズの姿だった。
コンサートからおよそ1ヶ月が過ぎた7月13日、今度はケインが白血病の合併症で亡くなってしまう。
しかし残されたデヴィッドとシルヴェインの2人はドールズの活動を続け、それ以降3枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。
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参考資料:映画『ニューヨーク・ドール』(2005年製作)