「俺がこのバンド名を思いついた時、メンバー全員が賛成してくれたよ。KISSという名前には様々な意味があると思ったんだ。情熱の口づけだけでなく、死の口づけだってあるんだから。それに凄くわかりやすいし、馴染みがある言葉だしね。KISS?ああ、聞いたことあるよ!なんて、言ってもらえるんじゃないかと俺は思ったんだ。」(ポール・スタンレー)
当時、ニューヨークから出てきたバンドの大半はニューヨーク・ドールズをお手本にしていた。
1973年3月のある夜、ポールとジーンはドールズのライブを観るために繁華街のいかがわしいエリアにある“ディプロマット”というダンスホールへ出向いた。
そこは売春婦や麻薬依存症の連中がしけ込むような場所だった。
「演奏の方はそうでもなかったが、彼らの見た目は最高だった。彼らのウエストは俺の手首くらいしかなくてね。あれと比べたらジーンも俺もアメフト選手のようだった。彼らと同じやり方で勝負しても勝てるわけがないと悟ったよ。」
ポールとジーンは、自分たちのやり方で成功するにはどうすればいいか話し合った。
まず、ドールズのようなカラフルで女性的な衣装ではなく、もっと禍々しい全身黒のコスチュームにすることを決めた。
ポールは早速メタリックな黒いサテン生地を買ってきて、自分たちのお気に入りのベルボトムジーンズを解体して型紙をおこし、自作の衣装を完成させた。
「それまでミシンを使ったこともなかったし、ファスナーの付け方なんてまったくわからなかったよ。だけど出来あがった衣装をジーンも凄く気に入ってくれて、同じ物を作ってくれと頼んできた。」
さらに彼らは犬の首輪を買うためにペットショップを物色し、そこに気にいった物がないとわかると、SMプレイの道具やコスチュームが売っているアダルトショップへと出かけた。
一通り衣装が揃うと、今度は顔を白塗りにすることを考えついたという。
「リハーサルをしていた23丁目の倉庫に集まり、4人でドアに立てかけた鏡の周りに輪なって座り込んだ。どうやってメーキャップをすればいいのか?彼らは取り憑かれたように描いては拭き取りを繰り返して色々なアイディアを出し合ったんだ。」
ポールは右目の周りに星を描いた。
エースは宇宙っぽいデザインを考えた。
ピーターは猫、そしてジーンは悪魔をモチーフにしたメイキャップを作り上げた。
「ジーンのメイキャップは最も強烈なものだった。挑発的で日本の歌舞伎の要素もあった。そして彼がメイクをして舌を出した瞬間に総てがピッタリとはまったんだ。4人それぞれの個性とメイキャップが、ステージの上で素晴らしい対比を造り出すことを確信したよ。まさに光と影だ!」
彼らがバンドとしてリハーサルを重ねるようになって9ヶ月の時が流れた…
1973年9月下旬、KISSはいよいよデビューアルバムのレコーディングをスタートさせる。
54丁目とブロードウェイが交わる場所にあるベル・サウンド・スタジオという小汚い二流スタジオだった。
「当時21歳だった俺にとって、その初日は忘れられないものだったし、気分は最高の上にも最高だったよ。プロデューサーのリッチー・ワイズとケニー・カーナーから俺たちはレコーディングのやり方を学んだんだ。俺たちは全員同じ部屋に入ってかなりの速さで作業を進めた。あの時はほとんどオーヴァーダブもやらなかったよ。」
1974年2月8日、設立されたばかりのカサブランカ・レコードから彼らの記念すべき1stアルバム『KISS(地獄からの使者〜キッス・ファースト)』がリリースされる。
デビュー当初は、そのインパクトの強いメイキャップのせいもあって色モノ系バンドとして扱われていた彼らだったが、コツコツと全米ツアーを行う中、テレビ番組『In Concert』や『The Mike Douglas Show』に出演したりして、多くのロックファンの心を掴んでゆく…
<引用元・参考文献『ポール・スタンレー自伝 モンスター 仮面の告白』ポール・スタンレー(著)ティム・モア(著),増田勇一(監修)迫田はつみ(翻訳)/ シンコーミュージック>
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