「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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追悼・平尾昌晃~ロカビリー・ブームの立役者でNo.1シンガーだった20歳の平尾昌晃

日本にロックンロールが上陸したのは、映画『暴力教室』が公開された1955年8月21日と言っていいだろう。非行化防止のために青少年に観覧させないようにと、当時の文…

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追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

1937年1月30日に長野県で生まれた常田富士男は、6歳のときに父親を戦争でなくした。それから各地を転々とした後、小学3年時より母の郷里となる熊本県阿蘇郡南小国…

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激しい雷雨で伝説となった後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード来日公演

日本のロック伝説のひとつとして今なお語り草になっているのが、雷鳴が轟く豪雨の後楽園球場で行なわれたグランド・ファンク・レイルロードのライブである。 それは197…

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追悼・大橋巨泉~小学生の細野晴臣がいつも聴いていたラジオ『昨日のつづき』

中学時代から俳句をたしなんでいた大橋克己は、高校生のときに俳号で「巨泉」を名乗り始めて、それがそのままペンネームと芸名になった。 1950年代の後半から大学生の…

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ボブ・ディランに「ノー!」とは言えず、リッチー・サンボラが譲り渡したマーティンD-18

エルヴィス・プレスリーが初期の頃に使用していたギターでもっとも有名なのは、1955年の前半にステージで使っていたマーティンD-18だろう。 1956年3月に発売…

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初来日したローリング・ストーンズのビル・ワイマンに招待された細野晴臣、それに随行した忌野清志郎の出会いから生まれたHIS

ローリング・ストーンズのベーシストだったビル・ワイマンは、1970年代から日本の音楽シーンにも関心を持っていたらしく、3枚目のソロ・アルバム『ビル・ワイマン』の…

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大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

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2人だけで結成されたホワイト・ストライプスの真骨頂、カントリーをガレージ・ロックにした「ジョリーン」

アメリカの音楽サイト「Diffuser.com」はかねてより、<ベックのベスト・ソング TOP10>や<レディオヘッドのベストソング TOP10>といったリスト…

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追悼・石田長生~偉大なるミュージシャンズ・ミュージシャンにしてプロデューサー

石田長生さんの訃報がツイッターやFBで2015年7月8日の朝から流れて、HPを訪れてみると確かにその事実が告知されていました。 ご報告。かねてから闘病中でした石…

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追悼・相倉久人 大瀧詠一とのナイアガラ対談で発表された「分母分子論」

1983年の11月から12月にかけて雑誌『FMファン』での対談で、大瀧詠一の「分母分子論」は発表された。 それはジャズ評論家の相倉久人を先生として、生徒の大瀧が…

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マカロニ・ウェスタンの『荒野の用心棒』『続・夕陽のガンマン』を映画史に残る作品にしたエンニオ・モリコーネの音楽

エンニオ・モリコーネといえば50年以上にわたって映画音楽の世界で活躍してきた巨匠だが、その出世作となったのはマカロニ・ウエスタン映画の『荒野の用心棒』(1964…

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第一回レコード大賞を受賞した水原弘が放った言葉「レコード大賞? なんだい、それ」

1959年12月16日、デビュー曲の「黒い花びら」がレコード大賞に選ばれたという知らせを聞いた歌手、水原弘が「レコード大賞? なんだい、それ」と言ったのは有名な…

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