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「カムバック・スペシャル」で完全復活を果たすまで①~エルヴィスとの対面で放たれたジョン・レノンの言葉

2024.08.26

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ハリウッドにあるエルヴィス・プレスリーの自宅で、ビートルズとの世紀の対面が始まったのは1965年8月27日の夜だった。

憧れのヒーローに会うことで神経質になっていたビートルズの4人が、実際にはどう振る舞ったのかについて、長年にわたって広報を担当していたトニー・バーロウが、回想録のなかでこのように記していた。

エルヴィスとビートルズの両者が向かい合った瞬間、部屋の中にぎこちない沈黙が広がった。ほんの数秒間が数時間にも感じられたそのとき、イギリス・チームは周囲を見渡し、誰かが動くなり話すなり、何らかの動きがあるのを待っていた。そこへジョンが、エルヴィスに向かって明るく話しかけたのだ。それを見届けたパーカー大佐はブライアンの方にその太い腕をまわし、その場から離れようとうながした。


エルヴィスはぎこちない状況を好転させるために楽器を持ってくるようにと指示し、ビートルズのメンバーにギターを手渡した。一緒にエルヴィスの曲を演奏してみると、彼らはいくらか生き生きとした雰囲気になった。

頭を悩ませながら言葉を選んで話すより、音楽を演奏したほうが余計な気遣いをせずに、コミュニケーションができたのである。

やがてエルヴィスがベースを弾きながらビートルズの「アイ・フィール・ファイン」を歌い出し、セッションが終わるとやっとお互いにリラックスした。

トニーの観察によれば、メンバーの中で一番楽しそうだったのがジョンで、それからは子供時代のヒーローに矢継ぎ早の質問を投げかけた。そしてエルヴィスが警戒していた領域にまで踏み込んで、あえて痛いところを突く質問をしたのだった。

「ぼくはサン・レコード時代の歌が好きだった」
「どうして最近はやわなバラードばかりなんですか?」
「ロックンロールはどうしたんですか?」


1960年に兵役から復帰した直後から映画に主軸をおいて活動を始めて5年、作品の質的な低下とマンネリ化によってエルヴィスの映画からは精彩が失われつつあった。それでもファンは映画を観るために劇場に足を運んでくれたが、映画と抱き合わせて制作されたサウンドトラックのアルバムからは、大きなヒット曲は出なくなってしまった。



そこへイギリスからビートルズが登場してブレイクし、1964年から65年にかけて世代交代のようにアメリカのヒットチャートを席巻した。エルヴィスは自分のフォロワーが登場してきたことを喜ぶと同時に、ビートルズを初めて現れた強力なライバルとして脅威とも感じていたようだ。

しかも映画にも進出したビートルズは第1作で世界的に成功を収めて、第2作となる『ヘルプ!4人はアイドル』はハリウッド資本による製作費で、その年の夏に完成させたところだった。

その辺りの流れを冷静に分析していたトニーは、「私が見ていた限り、エルヴィスもあまり自信なさげに見えた」と、正直に当日の印象を述べていた。



おそらくエルヴィスはその日、自分が夢中で歌っていたサン時代のレコードが好きだったというジョンに対して、大先輩として余裕を持って接したかったであろう。

当時の仕事に自信を持っていたならば、それなりに大人の対応ができたかもしれない。しかし、真剣な目なざしで単刀直入に切り出したジョンに対して、エルヴィスはこう答えるのが精一杯だった。

「聞いてくれ、映画のサウンドトラックにかかりきりで立ち往生しているからといって、これ以上ロックンロールができないわけではないぞ」


少年時代からの憧れだった自分に対して、明らかに落胆した表情を隠さないジョンの態度に、エルヴィスは礼儀知らずだとの思いを感じていたであろう。それからムキになったように、こう付け加えたという。

「(ロックンロールを)何曲かレコーディングして、君たちをトップから引きずり下ろしたっていいんだ」


だがジョンが口にした言葉は皮肉でも不満でもなく、純粋なファンの疑問であって、その言葉の奥には愛が込められていた。

エルヴィスが兵役から除隊してシーンに復帰したとき、ロックンロールで金字塔を打ち立てたヒーローが、大人のバラード・シンガーに変わったことで、多くのロックンロール・ファンが去ってしまったのはまぎれもない事実だった。

だから世界中の少年たちが自らがエルヴィスのようになろうと思って、ギターを手にとって歌と音楽を始めていったのである。そうした人たちの思いを正直に代弁して、ジョンは誰一人として言えなかった疑問を、本人に面と向かって初めて伝えたのだ。

いささか不躾すぎる質問によって憤然たる思いにさせられたエルヴィスだが、内容が的を射たものであったことについては、不愉快ながらも納得せざるを得なかったであろう。なぜならば、自分でもそのことに対して、薄々ながらずっと気にかけていたに違いないからだ。

独特の勘によってパーカー大佐が押し進めたことで実現したスーパースター同士の対面は、音楽の仕事に情熱を失っていたエルヴィスの心に、ジョンがひっかき傷を付けたことによって、新たな闘志を燃え上がらせる方向へ導いていったともいえる。

その第一歩となったのは1966年の5月にナッシュビルで行われたアルバム制作で、エルヴィスは自分の意志でスピリチュアル・ソングのアルバム『偉大なるかな神(How Great Thou Art)』を完成させている。そして新曲のレコーディングにも、もう一度本腰を入れて取り組み始めた。

そうした流れの中で1968年にNBCのテレビ・スペシャルの企画が持ち上がり、そこでで7年ぶりのライブを行ったことで奇跡的な復活を遂げることになるのだ。

ライブで最初に歌ったのは、サン・レコード時代の「ザッツ・オール・ライト 」だった。そこからエルヴィスは「ハートブレイク・ホテル」を筆頭に、初期のロックンロール・ナンバーを次々に披露していった。



(注)本コラムは2018年9月7日に公開されたものを加筆および改作しました。

<参考文献>
・トニー・バーロウ著 高見展・中村明子・越膳こずえ・及川和恵 訳『ビートルズ売り出し中! PRマンが見た4人の素顔』 (河出書房新社)
・アラナ・ナッシュ著 青林霞訳 赤沢忠之監修「エルヴィス・プレスリー-メンフィス・マフィアの証言-上」(共同プレス)
・クリス ハッチンス&ピーター トンプスン 著  高橋 あき子 訳「エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ」(シンコーミュージック)

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