1997年9月13日。エルトン・ジョンがダイアナ妃の葬儀で歌った「キャンドル・イン・ザ・ウインド~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」が英国でシングルとして発売され、1日だけで60万枚を売り上げた。
その勢いは世界的なものとなり、このレコードはビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」に次ぐ世界で2番目に売れた曲となった。日本でも洋楽としては珍しい初登場1位を記録している。
「キャンドル・イン・ザ・ウインド」はダイアナ妃お気に入りの曲だった。元々はエルトン・ジョンが1973年に発表したアルバム「黄昏のレンガ路」に収録され、翌1974年に英国でシングル発売されたものである。1961年生まれのダイアナ妃は13歳だった。
日本でいえば、中学生になったばかりの少女が愛した曲は、マリリン・モンローに捧げられた歌だった。13歳の少女がマリリン・モンローの孤独に自己を投影したのだろうか。それとも後にプリンセスとなってから、かつて耳にした曲に自分を重ね合わせたのか、それはわからない。だが、
♪グッバイ、ノーマ・ジーン♪
そんな歌い出しで始まるこの曲は、
♪グッバイ、英国の薔薇♪
と書き換えられた。
ノーマ・ジーン。それはマリリン・モンローの本名である。女優ノーマ・タルマッジと、1930年代のセックス・シンボル、ジーン・ハーロウから、母親がつけた名前だった。
♪あなたが死んだ時さえ
新聞は書いたものだ
マリリンは裸で見つかったのだと♪
エルトンの曲を多く作詞しているバーニー・トウピンが書いたのは「有名人の孤独」だった。「あの曲を書いて、私が熱狂的なモンロー・ファンだと勘違いする者も少なくなかった」と、バーニー・トウピンは語っている。彼は、この詩を、ジャニス・ジョップリンの伝記を読んだ直後に書いていた。
「それは別にジム・モリスンでも、ジェイムス・ディーンでも、シルヴィア・プラスでもよかった。若くして亡くなり、ドリアン・グレイの肖像のごとく、アイコンになった人物であればね」
シルヴィア・プラスは、日本ではあまり知られていないが、1963年に31歳の若さで自らこの世を去った女流詩人である。そして「ドリアン・グレイの肖像」とは、オスカー・ワイルドの長編小説で、肖像画に描かれた永遠の美を手に入れようとした青年の物語だ。
♪そして僕には
あなたが
風の中の蝋燭(キャンドル・イン・ザ・ウインド)の
ような人生を送ったように思える♪
そして残念なことに、この曲を愛したダイアナ妃その人も、この悲しきアイコンのひとりとなってしまった。そしてその生涯はまさに、風の中に灯された蝋燭の炎のようだったのである。
GOODBYE YELLOW BRICK ROAD
キャンドル・イン・ザ・ウインド~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ
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