ニコ。本名はクリスタ・ペーフゲン。
彼女は生まれながらの嘘つきだった。幼い頃からたくさんの嘘をついていた。彼女はそれを“お話”と呼んでいた。その嘘は大人達から“ロマンティックな夢想”と呼ばれ、笑顔で見逃されていた。友人達は皆、その“ちょっと変わった癖”を許した。
両親がロシア人なのか? それともロシアとトルコのハーフなのか? ロシアとポーランドとドイツとトルコのクオーターなのか? 出生、生い立ち、家族、年齢…彼女はいつも謎のベールに包まれていた。
10代の頃から身長が180cmあったニコは、パリを中心に『VOGUE』『ELLE』などの人気ファッション誌のモデルとして活動していた。1960年(当時21歳)には、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『甘い生活』に端役で出演。
この頃からニューヨークに移り、しばらくの間はヨーロッパとアメリカを行き来しながら活動を行う。1965年3月のある夜、ローリング・ストーンズと出会う。それは彼らのオーストラリアツアーの成功と、2ndアルバムの発売を祝うために、レコード会社が開いたパーティーの席だった。
ストーンズの初代マネージャーとして知られるアンドリュー・ルーグ・ オールダムが「スター候補の女の子を探している」という話の流れから、彼女が紹介されることとなる。
モデルの仕事のこと、フェリーニ監督の映画に出演したこと、ボブ・ディランと友達関係だということ、薄暗いVIP席で煙草を燻らせながら話すニコに、オールダムはたちまち興味を持った。
オールダムが振り返ると、同じテーブルに座っていたブライアン・ジョーンズが熱い視線を注いでいたという。その数秒後、ニコ(当時26歳)とブライアン(当時22歳)は、その場で直接言葉は交わさずとも、特別なアイコンタクトを交わすこととなる。
ニコは当時、モデルや女優以外の新しいキャリアを必要としていた。歌手という肩書きをいかにして手に入れるか?
「ブライアンのセクシーな魅力に惹かれたの」
“若き大物”の近くに、自分の位置を確保するため、彼女はブライアンのサディスティックな性癖や気紛れな行動に耐えた。オールダムが選んだ楽曲は、カナダ人作曲家のゴードン・ライトフットの作品「I’m Not Sayin」だった。
当時のライトフットといえば、エルヴィス・プレスリーやボブ・ディラン、ジョニー・キャッシュらに曲をカヴァーされるなど、“若きMr.フォーク”としてその名を知られるようになっていた。オールダムがプロデュースを担当したそのレコーディングでは、ブライアンがギターを弾き“売れ線”のポップサウンドが制作された。ニコの歌を録音する際に出された注文はこうだった。
「マリアンヌ・フェイスフルのような感じでね!」
27歳を迎えたニコの1stシングル「I’m Not Sayin」は、商業的にも内容的にも満足いくものではなかった。
「本当に腹が立ったわ! そこにいた中で私が一番年上だったのに、彼らは私に生娘みたいに歌わせたかったのよ!」
このシングルのB面「The Last Mile」はジミー・ペイジが作曲とプロデュースを担当している。この頃、ボブ・ディランの紹介で、アンディ・ウォーホル(当時36歳)に出会う。
その垢抜けた容姿と雰囲気に魅了されたウォーホルは、自身が主宰する“ファクトリー”の実験映画にニコを出演させる。さらにウォーホルは自らがプロデュースしていた、ルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドに参加させ、1stアルバム『The Velvet Underground and Nico』を発表するのだが。。。
<参考文献『ニコ―伝説の歌姫』リチャード ウィッツ(著)浅尾敦則(翻訳)河出書房新社>
Chelsea Girl
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