2001年6月21日、“キング・オブ・ブギ”の名で親しまれたブルースマン、ジョン・リー・フッカーが、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊ロス・アルトスの自宅で就寝中に死去した(享年80)。死因は老衰・自然死とされている。
活動歴は半世紀にもおよび、そのギター奏法と歌声はブルース〜ロック界へ多大な影響・功績を残している。生まれ育ったミシシッピ州クラークスデイルは、ブルース発祥の地として知られる場所である。
バプティスト協会の司祭で農業も営んでいた父親の11番目の末っ子として生まれ、幼い頃から霊歌(スピリチュアル)を歌っていた。家は貧しく、信仰心の厚い両親から神を敬うように教わって育った。
9歳の時に両親が離婚。母親の再婚相手となったブルースギタリスト、ウィリアム・ムーアからギターの手ほどきを受けるようになる。さらには、姉の紹介で会ったブルースマン、トニー・ホリンズからギター練習の課題曲として「Crawlin’ King Snake」を聴かされ、ますますブルースにのめり込んでゆく。
14歳で家を出ると、生涯二度と故郷のクラークスデイルには戻らなかった。叔母を頼ってテネシー州のメンフィスに辿り着くと、生活のために昼間は働き、夜は酒場やクラブなどで演奏するようになる。
そして28歳の頃にデトロイトへと移り住み、第二次世界大戦中はフォード社の工場で仕事をするようになる。そこで稼いだ金でエレクトリックギターを手に入れた彼は、デトロイトのイーストサイドにある数々のクラブで定期的に演奏を始める。
「デトロイトの近辺にある色んなナイトクラブで演奏していたよ。かなりいい仕事だった。当時のクラブで演るということは、いい飯のタネになるってことだった。色んな奴らが俺の演奏を聴きにきて“コイツ凄ぇ!”なんて言ってくれたよ。」
30歳を迎えた1948年にロサンゼルスのモダン・レコードからリリースした「Boogie Chillen’」が、いきなりのミリオンセラーを記録する。同曲はR&Bシングルチャートで首位を獲得し、本格的に音楽キャリアをスタートさせる。
続いて同年にリリースした「Hobo Blues」もヒットし、ジョン・リー・フッカーの名は一気に知れ渡っていく。一躍“名の知れたブルースマン”の仲間入りを果たすと、(契約上の問題をクリアするために)キング、チャンス、ゴサムなど、他のレコード会社でも別名を使ってレコーディングをするようになる。
「テキサス・スリム」「デルタ・ジョン」「ジョニー・ウィリアムズ」「ジョン・リー・ブッカー」など様々なレコードに別名がクレジットされたという。
その後、1951年には「I’m In The Mood」で、再びR&Bシングルチャートの首位を獲得。1955年頃から新進レーベルとして勢いのあったVee-Jayレコードと契約し、白人層にも知られるようになっていく。
1970年代以降はカルフォルニア州に移り住み、ライ・クーダー、ジョニー・ウィンター、キース・リチャーズ、ヴァン・モリソン、マイルス・デイヴィス、ピート・タウンゼント、カルロス・サンタナ、ボニー・レイット、ロス・ロボスなどなど、ジャンルを超えた様々なミュージシャンとの交流を深めていった。
ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー
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執筆者 佐々木モトアキ プロフィール
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