♪「John & Yoko」/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ
ヨーコ
ジョン
ヨーコ…
ジョン…
ヨーコ!
ジョン!
ヨーーーーコ!!!!!
ジョーーーン!!!!!
ヨーコ♡
ジョン♡
ヨーコ…
ジョン…
(22分41秒間続く)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ。
時間(タイミング)の前後は不明だが…二人の出会いには、もう一つの“作品にまつわるエピソード”が存在する。
同じく1966年11月9日。
場所も同じくロンドンのインディカ・ギャラリーでの出来事。
オープン前のヨーコの個展を訪れたジョンに“感銘”と“衝撃”を与えた作品があったという。
ギャラリーの一角にぶっきらぼうに置かれた、高さ2メートルほどの脚立。
ふと見上げれば天井から虫眼鏡がぶら下がっていた。
いったい何のための虫眼鏡なのか、虫眼鏡で見るに値する何かが天井に書かれているとでも言うのか…確かめるためには、その脚立を登らなければならない。
ジョンは登った。
そして彼は見つけた。
真っ白な天井に小さな文字で書かれた“YES”という言葉を。
それは『天井の絵 Ceiling Painting (YES Painting)』と名付けられた作品だった。
ジョンはその時のことをこんな風に回想している。
もし“No”とか“インチキ”みたいな意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。
でも“YES”だったから僕は「これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ」と思ったよ。
僕はそこに書かれていた“YES”という1文字に救われたんだ。
それは、どんなことでも肯定的にものごとをとらえてゆく、ヨーコの作品を象徴する言葉だった。
すべてを肯定する“YES”の1文字。
ファンの間では、ジョンとヨーコの出会いを決定付けた記念碑的作品だとも云われている。
そして、ヨーコもまた当時のことをこんな風に回想している。
二人とも、とても感性が強くてね…直感的な人間だったんです。
だからね…二人がパッと会った時に、すぐ愛を感じていたんでしょうけれども…非常に抵抗も感じていたんです。
本当に愛するってことは、二人が溶けちゃうってことでしょ…。
一緒になっちゃうことでしょ…。
私たちが出会った1966年というのは、二人とも悩んでいる時期だったのよ。
当時オノ・ヨーコは、家族と共に移り住んでいたニューヨークからロンドンへと活動拠点を移したばかりで、環境の変化による不安やストレスを感じている時期だった。
一方、ジョンはというと「ビートルズは今やキリストより有名だ」という彼の発言によって始まった“ビートルズバッシング”と、コンサートのマンネリ化からライブ活動を停止してしまったため、暇をもてあます日々を送っていたという。
その上、ビートルズの存在自体が危ういものになりつつあり、ジョンは今後何をするべきなのか?模索していた日々でもあった…。
ヨーコがその作品に込めた“YES”は何に対する“YES”だったのだろう。
すでに前衛的な芸術家として、音楽ではジョン・ケージと絵画ではアンディ・ウォーホルといった最先端のアーティストと交流のあったヨーコ。
見た人が思い思いに釘を打っていく過程そのものを提示した作品にも見られるように、彼女の発想は斬新で独創的である。
彼女のこの“YES”は、すべての人への“YES”であり、同時にたった一人のための“YES”でもあるのかもしれない。
そもそも、その問いかけの内容さえも誰にもわからないし…特定の必要もない。
ジョン・レノン
『Wedding Album』
(1969/ Apple Records)
1969年、ジョン・レノンの3枚目のソロアルバムを発表する。
それは『Wedding Album』と名付けられオノ・ヨーコとの共同名義のものとなった。
本作は結婚の模様を収めた“プライベートアート”といえる作品である。
A面の内容はジョンとヨーコがただひたすらに互いの名前を呼び合うだけのものだが、発売された当時「SEXの記録だ!!」などとも評された。