「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the STORY

ポール・マッカートニーの27歳~ポール死亡説と隠遁生活、そしてリンダへの愛

『ポール・マッカートニーは死んでいる?』 そんな見出しの記事がアイオワ州にある大学の新聞に掲載されたのは1970年9月17日、ポールが27歳のときだった。 記事…

TAP the SONG

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で最初にレコーディングされたポール・マッカトニーの曲

1967年に発表されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録されている「ホェン・アイム・シックスティー・フォー」…

TAP the SONG

西城秀樹がカヴァーした作品から知る洋楽のスタンダード曲②~日本語によるロックの難しさを乗り越えたセンス

西洋文化の音楽や歌が日本に入ってきたのは明治維新の文明開化からで、軍歌と唱歌による音楽教育、賛美歌、童謡となって普及していった。 大正から昭和にかけて流行歌が生…

TAP the ROOTS

ジョンが歌ったベン・E・キングの名曲~「そばにいておくれ」と男が叫ぶ瞬間

♪ 夜の帳が降り   辺りは暗く   明かりといえば   月だけだ   ああ、でも怖くない   怖くなんかないのさ   ただ君がそばにいてくれればね ♪ 201…

TAP the CHANGE

B-52’sの「ロック・ロブスター」を聞いて新たな時代がきたことを確信したジョン・レノン

ジョン・レノンが息子のショーンを連れ、ニューポートからバミューダ諸島へ向けての船旅に出たのは、1980年の初夏のことだ。 ショーンが生まれてからというもの、ジョ…

Extra便

「混ぜこぜにしちゃえばいいじゃん?」という発想から生まれたシンディ・ローパーの名曲

シンディ・ローパーが1983年に最初のソロ・アルバムを作ったのは、フィラデルフィアの北西部、ポコノ山脈の麓にあるマネイアンクという町にあるスタジオだった。 フィ…

Extra便

吉田拓郎はジョン・レノンへのファンレターの最後をこうしめくくった――「いつか僕たちがビートルズを追い越します」

吉田拓郎がビートルズを知ったのは1964年の初めのことで、日本でレコードが発売になる直前だった。 当時は高校2年で広島に住んでいたのだが、学校から帰ってくると夕…

TAP the SONG

エルトン・ジョンがバーニー・トーピンと共にジョン・レノンに捧げた「エンプティ・ガーデン」

エルトン・ジョンにとって初めて全米1位を記録したアルバムは、1972年の『ホンキー・シャトー』だった。そこから1975年の『ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』ま…

TAP the SONG

ジョン・レノンの直感がもたらしたレコーディング技術によって完成した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

1966年の9月初旬から、ビートルズのメンバーはソロ・プロジェクトに挑戦し始めたので、滅多に顔を合わせることがなかった。 しかし、再集結して新しいアルバムのレコ…

TAP the LIVE

ほんとうに最後のステージとなったビートルズのルーフトップ・コンサート

ビートルズのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』が公開されたのは1970年のことだが、もとはテレビ・ショー用に企画されたものだった。 「トゥイッケナム・…

TAP the NEWS

労働者の歌〜忌野清志郎も愛読した小説『土曜の夜と日曜の朝』から聴こえてくる名曲たち

忌野清志郎が青春時代に愛読し、影響を受けたという小説がある。ジョン・アップダイクの『走れウサギ』、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、そしてJ・D・サリンジャーの『…

TAP the STORY

ハリー・ニルソン27歳〜類い稀な才能と歌声、TVドラマへの出演

「ハリー・ニルソンはオレの親友だった」 (リンゴ・スター) 「彼は柔らかで滑らかな美しい声の持ち主でした。言葉の使い方もとてもユニークで独創的でした」 (オノ・…

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