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ジョン・レノンとポール・マッカートニー〜運命的な出会い、最強作曲コンビの誕生

2022.08.29

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「僕はクオリーメンというバンドを持っていた。僕がボーカルでリーダーだった。ポールに会ったとき、彼をバンドに入れるか入れないか?迷ったんだ。ポールを入れて強力なバンドにする方がいいのか?僕一人で引っ張っていく方がいいのか?結論は“ポールを入れる”だった。僕一人でやっていくより、彼と組んで最強のバンドを目指そう!力を合わせよう!と思ったんだ。」(ジョン・レノン)



ジョン・レノンの父親アルフレッド(当時26歳)は船で臨時に雇われていたウェイターだった。
アルフレッドがジョンの側にいたのは2年間だけで、彼は母子を置いて姿をくらましてしまった。
母親ジュリア(当時24歳)は別の男性を見つけ、ジョンは彼女の姉ミミに預けられて育った。
ジョンがティーンエイジャーになった頃、イギリスではロニー・ドネガンの「Rock Island Line」が大ヒットし、スキッフル・ブームが起っていた。
1956年、16歳となったジョンは、エルヴィス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」を聴き、ロックンロールの洗礼を受ける。
この頃、ジュリアが近くに住んでいることを知ったジョンは、ジュリアの家へ行き来するようになる。
夫・フレッドからバンジョーのコードを教わっていたジュリアは、ジョンにバンジョーのコードをいくつか教え音楽に関心を向けさせた。
ミミは賛成しなかったが、ジュリアはジョンのロックンロール好きに理解を示し、彼がハイスクール時代に初めて組んだバンド、クオリーメンを応援していた。
バンドメンバーは、学校の放課後にジュリアの家に集まって練習をしていたという。
一生懸命練習を重ねながら、クオリーメンは自分たちのコンサートを開催できるほど上達してゆく。
そのコンサート活動を通じて、ジョンは運命的な出会いを果たすこととなる。
それはジョンがハイスクールを卒業する数週前のコンサートでの出来事だった。
1967年7月6日、クオリーメンはリバプールにある教会のお祭りで演奏をすることとなった。
婦人たちや老人たち、はしゃぐ子供たちを前にして彼らは“場違い”な存在だった。
当時16歳だったジョンは、ポマードで髪の毛をテディーボーイスタイルにキメて、細身のブラックジーンズをはいて、ジーン・ヴィンセントのヒット曲「Be-Bop-A-Lula」を歌った。


街の人たちやお祭りの関係者は、彼らの演奏に対してなんの感心もしめさなかった。
そんな中、たった一人だけ彼らのステージを食い入るように見ながら、一曲が終わるたびに熱心に拍手をする青年がいた。
少しぽっちゃりしたハンサムな顔立ちに、長めに髪を伸ばした長身の15歳。
ステージを降りたジョンは、その青年に近寄って名前を訪ねた。

「僕の名はポール・マッカートニー、君たちの演奏、最高だったよ!」


この教会での出会いから数週間もしないうちに、二人は意気投合し、一緒に曲を作るまでになっていたという。
二人の性格は、これ以上かけ離れた性格はないと思えるほど違っていたが、なぜかウマがあった。
ジョンに比べて、ポールは幼い頃から音楽的な訓練を受けていた。
ポールの父親はジャズミュージシャンだった。
二人が出会った当初、ポールはギターにピアノ、そしてトランペットまで弾けたという。
ジョンは当時のことをこう振り返っている。

「ポールが僕よりも才能があったという意味ではなくて、音楽の教育としては僕よりも受けていたわけだ。その当時、僕はハーモニカとギターのコードを2つくらい弾けた程度だった。それにギターの弦をバンジョーにみたいにチューニングしていたんだ(笑)なんでかって?バンジョーしか弾けない母親からギターを教わったから、僕のギターには弦が5本しかなかったんだ。ポールがちゃんとした弾き方を教えてくれたんだけど、あいつは左利きだから、レフティー用のコードを覚えて…家に帰って右利き用に戻しながら練習したんだ。だから今でもコードを逆に押さえて弾くことができるよ(笑)」


性格も育った環境も違っていたが、二人には一つだけ共通点があった。
二人はロックンロールを心の底から愛していた。
ポールの父親はジョンを不良と決めつけ、二人の親交を快く思っていなかった。
ポールは父親が仕事に出かける時間を待って、ジョンを家に忍び込ませていたという。
二人はギターを手にして向き合い、キャッチボールのように曲のアイディアを投げ合った。
どちらも「自分の方がいい曲を書けるんだ!」と信じて、心に浮かぶメロディーや歌詞をぶつけあい、刺激しあった。

「この頃すでにポールと僕は法律的な問題じゃなくて“僕らの曲には二人の名前を入れよう”と決めたんだ。」(ジョン・レノン)




<引用元・参考文献『伝記 世界の作曲家 ジョン・レノン』マイケル・ホワイト(著)乾侑美子(翻訳)/偕成社>





【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki


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