みんな馬鹿げたラヴ・ソングに
飽き飽きしていると
君は思ってるようだけど
僕のまわりを見渡す限り
馬鹿げたラヴ・ソングで
世界を満たしたいと思ってる
人たちもいるんだよ
「マイ・ラヴ」や「バンド・オン・ザ・ラン」のヒットで、ビートルズ解散直後のスランプから脱したポール・マッカートニーは、コンサート・ツアーをスタートさせ、自信を取り戻す。
そして“ポール・マッカートニー率いるウイングス”というバンド名からポール自身の名前が外され、“ウイングス”と名乗るようになった。
だが、思わぬ矢が飛んでくる。評論家リチャード・ゴールドスタインの「ポールはバラードしか書かない」という発言である。
ジョン・レノンはヨーコとの別居もあり、スランプに陥っていた。
ビートルズ開催後、バングラデシュのライブなどでひとり気を吐いていたジョージ・ハリスンも、アルバム「リビング・イン・ザ・マテリアルワールド」とシングル「ギブ・ミー・ラブ」のヒット以降、新たに作ろうとしたダークホース・レーベルのトラブルにより、シーンから姿を消していた。
ポールがひとり、元ビートルとしてチャートを賑わせていた時代である。かつてのビートルズの栄光、そしてジョン、ポール、ジョージ、リンゴが作り出した奇跡的な化学変化を知る者にとっては、ポールが新たに作り出したサウンドが物足りなく聴こえた、という部分もあったのだろう。
だが、ポールはひとりの評論家だけに目くじらを立てたわけではなかった。リチャード・ゴールドシュタインは「バラードしか書かない」とは言ったが、「馬鹿げたラヴ・ソング」とは言わなかったからである。
「ポールが書いたのは、馬鹿げたラヴ・ソングばかりさ」
ジョンがそう言ったという話がポールの耳に届いたのである。ジョンが実際にそう発言したかどうかはさておき、その発言はまったく当たっていない。
ビートルズ最初のメッセージ・ソング「キャント・バイ・ミー・ラブ」はポールの作品だったし(過去コラム参照)、「与える愛と受け取る愛の総量は等分となる」という歌詞でビートルズのレコーディングをしめくくったのもポールだった。(過去コラム参照)
それに、どこが悪いっていうんだい
知りたいものさ
さあ僕はまた歌う
愛してる
愛してる
愛してるとね
そんなポールが1976年に発表したのが「心のラヴ・ソング」だ。ポールは、この曲について次のようにコメントしている。
実際、人間というのは、とてもセンチメンタルな生き物じゃないか。家でセンチメンタルな映画を見れば涙を流す。人前では、そんな姿は見せないけれどね。同じように、人は、ラヴ・ソングが好きだとなかなか口にはしないのさ。
愛はすぐに訪れるものじゃない
やって来ないことだってある
でも、愛に包まれた時
それは絶対に馬鹿げてなんか
いないのさ
愛は馬鹿げたものじゃない
絶対に馬鹿げてなんかいない
「愛の伝道者」ポールの真骨頂である。
(このコラムは2015年5月28日に公開されたものです)
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