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ミック・ジャガーにはじめてブラック・ミュージックを聴かせたのは黒人のコックだった

2024.07.26

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ローリング・ストーンズの表看板ともいえるミック・ジャガーとキース・リチャーズ。

2人は家が近所で、幼い頃には一緒に遊んだこともあったという間柄だが、学校が別々になってからは顔を合わせて話すこともなくなったという。

そんな2人を再び引き合わせたのはリズム・アンド・ブルース(R&B)だった。

キースはそうした音楽に目覚めたきっかけとして、ラジオから聴こえてきたエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を挙げている。キースのみならず、エルヴィスの音楽は海を超えて、イギリスでも若者たちに多大な影響を及ぼしていた。
詳しくはこちらのコラムをどうぞ

一方のミックはというと、キースとは違った出会い方をしている。

ミックの父、ジョー・ジャガーは体育教師で、当時のイギリスではあまり知られていなかったアメリカのスポーツ、バスケットボールを普及させることに熱心な人物だった。幼い頃からミックはエクササイズや様々なスポーツを教え込まれ、ミックもまた父親の期待に応えようと懸命に取り組んだ。

体を動かすことに精を出す一方で音楽に対する興味もあり、家族の前で歌うこともあったという。ただ、聴くことが許されているのは、ポップスやクラシックの流れる国営ラジオくらいだった。エルヴィスやR&Bを流しているラジオ局があったとしても、ミックはそれらを聴くことができる環境にはいなかったのである。

そんなミックに転機が訪れたのは中学生の頃だ。

父親から学んだエクササイズを何かの役に立てられないかと考えたミックは、近くの米軍基地で子どもたちにエクササイズを教えはじめる。

米軍基地という場所は、アメリカの文化に触れるうえで絶好の環境だった。ミックはエクササイズを教える日々の中で、アメフトや野球といったアメリカのスポーツを学ぶ。もちろん学んだのはスポーツだけではなかった。

「ホセという黒人のコックがいて、彼にR&Bのレコードを聴かせてもらった。このときにはじめて黒人音楽を聴いたんだ」


このときを境にしてミックはR&Bに夢中になり、アルバイトをしてはR&Bのレコードを買い集めるようになる。あるとき家でR&Bのレコードを聴いていると、父は露骨に嫌そうな顔をした。

「まるでジャングルの音楽だな」
「ああ、父さんの言うとおりだ。ジャングルの音楽とは、うまいこと言うもんだね」


父がR&Bに否定的な態度を見せても、ミックのR&Bに対する熱意は変わらなかった。それは結果として父への反発へとつながっていくのだった。

ミックが学校で反発的な態度を取りはじめたのもこの頃からだ。それまでは成績優秀で、クラスや部活動ではリーダーシップを発揮してきた。大学では経済学を学ぼうと考えていたために、勉強を放り投げることはなかったが、服装は乱れていき、髪も長く伸ばし始め、たちまち問題児として知られるようになった。

そうした日々の中でミックのレコード・コレクションは増え続け、ついにはアメリカのレコード会社から直接レコードを取り寄せるようになる。そうして手に入れたレコードを持って地元の駅にいたミックに、キースが話しかけたのは1961年、20歳の頃だ。

このときミックが手にしていたのはチャック・ベリー、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフというラインナップで、しかも国内では手に入らないレアな代物だ。同じくR&Bに夢中だったキースにとって、それらはまさにお宝だった。

こうして交流を再開させた2人は、翌1962年にローリング・ストーンズを結成することになる。



引用元;『ミック・ジャガー ワイルド・ライフ』クリストファー・アンダーセン著/岩木貴子、小川公貴訳(ヤマハミュージックメディア)


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