2011年7月23日に、27歳の若さで亡くなったイギリスのシンガー・ソングライター、エイミー・ワインハウス。
彼女が2007年にリリースした2ndアルバム『バック・トゥ・ブラック』は、全世界で2000万枚を売り上げ、さらにはグラミー賞では過去最多の5冠を獲得するなど、エイミー・ワインハウスの名を世界中に轟かせた。
このアルバムは、エイミーが幼い頃から好きだったジャズの影響が色濃く出た1stアルバム『フランク』とは打って変わり、ソウルや60年代のガールズグループを思い起こさせるサウンドに仕上がっている。
特に60年代のガールズグループからの影響については音楽だけでなく、ファッションにも現れている。エイミーはビーハイヴ・ヘアと呼ばれる、蜂の巣のように大きな髪型にし、目尻を強調したキャッツアイというアイラインを入れるようになった。
これらはエイミーが憧れたガールズグループ、ロネッツから取り入れたものだ。
ロネッツはヴェロニカ・ベネット(通称ロニー)が、姉のエステルと従姉妹のネドラを誘って結成したグループだ。
1961年にデビューするも、最初は中々レコードが売れず不遇の時代を送っていたが、フィル・スペクターがプロデュースを手がけるようになってから、一気に流れが変わった。
その第一弾シングル「ビー・マイ・ベイビー」は全米2位、全英4位の大ヒットとなり、ロネッツは一躍人気ガールズグループへと躍り出る。
やがてロニーとフィル・スペクターは交際するようになるのだが、スペクターによる束縛が厳しく、1966年にロネッツがビートルズのツアーで前座をすることが決まったときには、ロニーの参加を認めないほどだった。そしてロニー抜きでの活動を余儀なくされたロネッツは、まもなく解散の道を辿る。
その後スペクターと結婚したロニーだが、外出をすることすら許されず、家で酒に溺れるだけの日々を送る。そんな生活に耐えきれなくなり、ある日ロニーは意を決して子供を連れて家を出ていくのだった。
ロネッツの作品は、フィル・スペクターの代名詞であるウォール・オブ・サウンドとともに、その後の音楽シーンに多大な影響を与えた。だが、ロニーにとってロネッツは、人並みの青春も送れなかった仕事漬けの日々と、スペクターとの辛い思い出を思い出させる存在となるのだった。彼女はこの頃の自分を“ロスト・ガール”と呼んでいる。
そんなロニーのロネッツに対する意識を変えたのが、エイミー・ワインハウスだった。ビーハイヴ・ヘアで歌うエイミーを見たとき、ロニーは若い頃の自分を思い出したという。
「エイミー・ワインハウスは私がやったことの重要性を気づかせてくれたの」
それだけにエイミーの訃報は、ロニーにとってかなりのショックだった。ロニーによればエイミーが亡くなる半年ほど前、ロンドンでのコンサートにエイミーが観に来ていたという。
「私がエイミーの『バック・トゥ・ブラック』を歌ったとき、彼女の目には涙が浮かんでいたわ。それを見たら私の目にも涙が浮かんできたの」
ロニーはエイミーが亡くなった1週間後のコンサートでも、「バック・トゥ・ブラック」を歌っている。
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