「彼はポピュラー・ミュージックのサウンドや道筋に影響を与え、多くの人たちを感動させたアーティストでした。我々の生きる時代においてもっとも才能にあふれ、多くの作品を残したひとりであり、彼はあらゆることをやってのけました。ファンク、R&B、ロックンロール。彼は演奏の名手であり、優れたバンドリーダーであり、衝撃的なパフォーマーでした。彼のスピリットほど強く、大胆で、クリエイティヴなアーティストは他にいません。」
(第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ)
1984年、当時26歳だったプリンスは出世作となるアルバム『Purple Rain』を発表し、同名の自伝的映画(アルバート・マグノーリ監督・脚本作品)で初主演し、一躍トップスターの座へと昇り詰める。
発表初週に100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートの首位を24週間独占し続けるという驚異的な記録を残した。
シングルカットされた「When Doves Cry」と「Let’s Go Crazy」の2曲が共に1位となり、プリンスは全米でのアルバムチャート、シングルチャートで首位を独占するという偉業を達成する。
同アルバムからは他に表題曲の「Purple Rain」(2位)、「I Would Die 4 U」(8位)、「Take Me With U」(25位)がシングルカットされている。
プリンスの自伝映画として製作されたこの映画は、週間ボックスオフィス(興行収益/6800万ドル)で1位、年間で11位という堂々たる成績を残している。
翌1985年3月には、第57回アカデミー賞で歌曲・編曲賞を受賞。
この時のオスカー像は、後にプリンスが設立したスタジオの一角に大事に飾られたという。
この年に27歳を迎えたプリンスは、全米で1300万枚、全世界で1500万枚を売り上げたアルバム『Purple Rain』の収益で、独自レーベル“ペイズリー・パーク・レコード”を設立する。
その数年前…プリンスがまだ世界的にその名を知らしめていない頃、ローリング・ストーンズは彼の才能をいち早く見出し、ツアーの前座として抜擢した。
音楽界の大先輩に実力を認められた彼は、数万人という観衆の前で歌うまたとないチャンスを手にする。
ところが彼がステージに登場して数曲歌うと…観客たちは空き缶や生ゴミを投げ込み、大ブーイングを浴びせたという。
観客の多くが、彼の音楽と奇妙な容姿に強い拒絶反応起こしたのだ。
演奏予定の曲をすべて歌わずに中断し、ステージを降りた彼は…あまりのショックに舞台裏で呆然と立ち尽くしていた。
数十分後に観衆の前に登場したミック・ジャガーは、ステージ上でオーディエンスに向かってこんな言葉を吐き捨てたという。
「お前たちには彼がどれだけ凄い男かわからないだろう!」
その後、ミックの期待に応えるかのように、彼は大躍進を遂げてチャート首位を独占するまでとなる。
彼がアルバム&映画『Purple Rain』で大躍進を遂げた時、ミックはあるインタビューでこんな発言を残している。
「プリンスは多くの音楽の様式をブチ壊し、数多くのスタイルを発明した。彼自身もついていけなかったくらいだ。」
プリンスが絶大な信頼を寄せたアラン・リーズという男がいた。
ツアーマネージャー、そしてペイズリー・パーク・レコードの代表を務めた彼は、プリンスのキャリア最盛期の1983年から1993年の10年間において、あらゆる面で彼を支え続けた人物である。
60年代後半にジェームス・ブラウンのチームの一員だったという経歴の持ち主だ。
そんな彼が27歳当時のプリンスについて、貴重な発言を残している。
「1985年の後半頃から、プリンスはコラボレーションに熱中していた。シーラ・Eなどとの絡みもこの時期だった。僕を含め、彼を取り巻くブレーンは彼に新しいことに目を向けさせようとしていた。その時点で彼はまだジャズには手を出していなかったんだ。デューク・エリントンの名盤“Ellington At Newport”を聴かせたら凄く興奮していたのを憶えている。あの時期こそが彼の全キャリアを通じて最もクリエイティヴだったかもしれない。すでに熟練した技術は持っていたけれど、まだ全てをやり遂げていない者が持つ特有の情熱を秘めていた。とにかく新しいアイディアに貪欲だったよ。」
ロックでもあり、ジャズでもある。
ファンクでもあり、R&Bでもある。
すべてを吸収し“真のオリジナリティ”を追求し表現しようとする彼の姿勢は、既存の壁を超越していった。
彼のジャンルは、どこにもカテゴライズされることなく“ミュージック”そのものだった。
『Purple Rain』でチャート首位を独占した後、新たに設立した自分のレーベルからアルバム『Around the World in a Day』を発表し全米1位を獲得。
翌1986年(当時27歳)には、自らが監督を努めた映画『Under the Cherry Moon』のサウンドトラックとして『Parade』を発表。
映画自体は興業的に失敗するものの、アルバムは全米アルバムチャートで3位となり、シングルカットされた「Kiss」は1位に輝き、プリンスの人気はピークを迎えることとなる。
<引用元・参考文献『プリンスの言葉 Words of Prince』New Breed with Takki (著)/ 秀和システム>
<引用元・参考文献『プリンス 1958-2016』モビーン・アザール(著)長谷川町蔵(監修)/ スペースシャワーネットワーク>
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html
【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki