それはパティ・スミスが、まだ10代だった頃のことだ。
「唯一カッコ良かったのは黒人音楽だったわ。スモーキー・ロビンソン、ジェームズ・ブラウン、ジョン・コルトレーンね」
黒人への羨望は音楽だけにとどまらず、初めての彼氏もジャマイカ人の黒人だったという。人種差別がまかり通っていたこの時代において、それはかなり稀有なことだった。
そんな彼女の価値観を一変させる出来事が起きたのは1964年の10月25日、パティが18歳のときだ。
「突然白人の音楽をカッコ良く感じたのは、テレビでローリング・ストーンズを見た時よ」
その日の夜、父親がテレビでエド・サリヴァン・ショーを見ていると、画面に登場したのは、ふてぶてしい表情をした5人のイギリス人だった。エドによって「ローリング・ストーンズ」と紹介された彼らがこの日歌ったのは、前月にシングルがリリースされたばかりの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」だ。
「彼らは性的な感性を打ち破ったわ。彼らは私達と共通の言葉で喋り、カッコいい白人になるやり方を示したの。彼らにはこんな形容詞がぴったりだったわ。“危険な、汚い、悪っぽい、醜い、ムカつかせる、素晴らしい…”」
この年、ジャガー&リチャーズは作曲活動をスタートさせており、マリアンヌ・フェイスフルに提供した「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」がヒットするなど、早くも頭角を現していた。だが、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は彼らが書いたものではない。
オリジナルは、1963年にジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ウィンディングが録音したもので、曲を書いたのはジェリー・ラゴヴォイという作曲家だ。ジェリーはサビの「時間は私の味方(タイム・イズ・オン・マイ・サイド)」と「いつか戻ってくるはず」という歌詞しか考えていなかったが、それ以外の箇所はトロンボーンがメロディを吹くということで、歌詞が未完のままリリースされた。
その曲を、翌1964年のはじめにR&Bシンガーのアーマ・トーマスが歌うことになり、その際にR&Bミュージシャン兼ソングライターのジミー・ノーマンによって新たに歌詞が追加された。
♪時間は私の味方
今のあなたは自由になりたいと言うけれど
いつか戻ってくるはずよ♪
アーマの歌う「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は残念ながらヒットにはいたらなかったが、その歌に反応したのが、初めての全米ツアーでロサンゼルスを訪れていたストーンズだった。
ローカルなレーベルやアクトとも知り合いになり、おかげでLAではアーマ・トーマスの歌う「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」に巡り会った。(『キース・リチャーズ自伝 ライフ』より)
6月20日にカーネギーホールでツアー最終日を迎えたストーンズは、イギリスへと戻るとわずか4日後の24日に、ロンドンのスタジオで「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」を録音する。そして9月26日にアメリカ限定でシングル・カットされると全米チャート6位を記録、彼らにとって初のトップテン入りをもたらすのだった。
余談だが、ストーンズのベストなどで一般的に親しまれているバージョンは、翌1965年に再録されたものでギターのイントロからはじまるが、このシングル・バージョンではオルガンのイントロからはじまる。
ストーンズとの出会いによって白人の音楽も聴くようになったパティは、その後ボブ・ディランやジム・モリソンなどにも影響を受け、1969年に詩人としてアーティストの世界に踏み込んでいき、1975年に1stアルバム『ホーセス』とともに颯爽と登場する。
そしてこの頃のパティは「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」をレパートリーに入れている。
「父親に感謝することは、まず第一に私をミック・ジャガーの生け贄にしてくれたことね」
※パティの発言はこちらからの引用です
『パティ・スミス 愛と創造の旅路』ニック・ジョンストン著/鳥井賀句訳(筑摩書房)
この商品の購入はこちらから
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから