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パティ・スミス少女時代②〜憧れのマリア・カラス、ローリング・ストーンズの衝撃、そしてディランとの出会い

2018.09.30

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1956年、彼女が9歳の時に一家は同じフィラデルフィア圏内のサウスジャージーに引っ越す。
彼女は新しく通うこととなった学校の音楽教師に影響を受けたという。
その男性教員は無類のオペラ好きだった。
彼は自分のコレクションのレコードを学校に持ってきて、生徒たちに聴かせていた。

「プッチーニやベルディのセレクションを聴かせてくれたわ。私が一番心惹かれたのがマリア・カラスだった。密度の高い感情、そして全神経を集中させて歌う彼女の声に夢中になったの。ターンテーブルの上から彼女が舞い上がる。とりわけ好きだったのは、彼女が歌う“Un bel di vedremo(ある晴れた日に)”だったわ。」



「私はオペラ歌手になりたいと思っていたわ。だけどそこに向かって努力する気持ちも、それだけの骨格も持ち合わせていなかったの。次に私はジャズシンガーになろうとしたの。ビリー・ホリデイなることを夢みたの。」


オペラ歌手からジャズシンガー、思春期に差し掛かった彼女の世界は日ごとに変わり続けた。
彼女は自伝の中で、14歳の頃の自分をこんな風に振り返っている。

「当時、思春期の子供達の救済はロックンロールと本だった。私の両親は夜も働いていたから、家事や宿題を片付けた後、私たち姉弟は毎晩のように音楽に合わせて踊ったわ。自慢ではないけど、私たちは戦争ごっこと同じくらいダンスが上手だったの。ジェームス・ブラウン、ザ・シュレルズ、ハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ、それはそれは楽しかったわ。」


彼女は毎日ダンスを踊り、絵を描き、詩を書いた。
1964年、17歳になった彼女はある日人生を変えるほどのアーティストに出会う。
日曜日のある晩、父親とテレビでエド・サリバン・ショーを観ていた時のことだった。
初めて観るイギリスの若いバンドが紹介されて歌い出した。
「Time Is on My Side!Yes It Is!」
その一曲、そのバンドは、一瞬で彼女を夢中にさせた。
あるインタビューで、彼女はこんな風に語っている。

「父親に感謝することたくさんあるけれど、一番は私をミック・ジャガーの生け贄にしてくれたことね(笑)その日、テレビの中で彼らが歌い終えると、私は“イエ〜!!!”って大声で叫んだわ。ロックンロールバンドの中で、初めて私がファックしたいと思ったのが彼らだった。エルヴィスはファックするには歳を取り過ぎていたし、ジェームス・ブラウンも好きだったけど、汗臭いボクサータイプは私の好みじゃないの。ストーンズは5人ともボーイフレンドにできそうなタイプだった。彼らにはこんな形容詞がピッタリだったわ。“危険な、汚い、悪っぽい、醜い、ムカつかせる”そして“素晴らしい”」



ローリング・ストーンズの次に彼女を夢中にさせたのがボブ・ディランだった。
歌声、歌詞、ルックス…彼女はディランのすべてに心酔する。

「ある日、母が仕事先でレコードを買ってきてくれたの。ドラッグストアーで店員をしていたんだけど、そこに中古レコードの安売りコーナーがあって“聴いたことのない人だけど、この人、あなたの好きな誰かさんに似てると思ってね”そう言ってボブ・ディランのアルバム“Another Side of Bob Dylan”を私にプレゼントしてくれたの。」



そして、さらにそんな憧れの人とそっくりな容姿に惹かれて手にした一冊の本があった。
フランスが生んだ孤高の天才詩人、アルチュール・ランボーの詩集だった。
ランボーに大きな刺激を受けた彼女は、ついにアーティストとして生きる道を選択する。
しかし、お金がなかった彼女は美術学校に行くことができず、奨学金を得て美術教師になるために進学する。
ところが、教師を目指す真面目な生徒たちの間で彼女は居場所を失ってしまう。
ドロップアウトしてしまった彼女は、卒業を前にして妊娠をする。
お腹の子の父親もわからない状況で、彼女は学校を辞めざるをえなくなる。
当時のアメリカでは妊娠中絶は違法とされていたため、彼女は子供を産み、その子を養子に出すこととなる。
将来への希望と赤ちゃんを失い…悲しみに暮れながら彼女は工場で働き始める。
十代だった彼女にとって、三輪車のハンドルを検査する仕事は退屈なものだったという。

「どうにかしてアーティストの仲間入りをしたかった。もしくはアーティストの恋人でもよかった。誰もやってない服装、誰も作ってない作品づくり、わずかなチャンス…そんなことに憧れていたわ。」


1967年の夏…二十歳だった。
彼女は9歳の頃から育ったサウスジャージーの片田舎を後にして単身ニューヨークで暮し始めた。
わずかな現金(16ドル)を握りしめて、何のあてもないまま…逃げるように、祈るように、そして新しい未来を求めて……

<引用元・参考文献『ジャスト・キッズ』パティ・スミス (著)、にむらじゅんこ/小林薫 (翻訳) 河出書房新社>
<引用元・参考文献『パティ・スミス完全版』パティ・スミス (著)、 東 玲子 (翻訳) 河出書房新社>
<引用元・参考文献『パティ・スミス―愛と創造の旅路』ニック・ジョンストン(著)鳥井賀句 (翻訳)/ 筑摩書房>

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