「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

『くまのプーさん』の家で「ジョンとヨーコのバラード」を聴いていたブライアン・ジョーンズ

2024.07.03

Pocket
LINEで送る

ロンドン郊外のサセックス州ハートフィールドにあるコッチフォード農場は、『くまのプーさん』で有名な作家のA.A.ミルンが住んでいたことで知られていた。

その農場と家をローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが購入したという記事が、音楽誌に掲載されたのは1968年の秋のことだった。

そのころのブライアンは世界的に大きな成功を手に入れたバンドの中で、一人だけ精神的な落ち込みが酷く、過剰なドラッグの乱用から舵を失った船のようになっていた。

キース・リチャーズは1971年のインタビューで、「ブライアンは脆くなった。年々その脆さに拍車がかかっていったんだ。心身ともにね」と述べている。

63年から66年まではとにかくノンストップで働き詰めだった。その間に休めたのは2週間だけさ。
やつはタフだったが、いろんなことが積み重なって、どんどん脆くなっていったんだ。初めて会った時のブライアンはウェールズの雄牛みたいだった。がっちりしてとてもタフに見えたよ。


1969年の春、アルバム『レット・イット・ブリード(Let It Bleed)』のレコーディングを終えたら、ローリング・ストーンズはツアーに出ようと計画していた。そこでバンドの先行きについて、ブライアンの家で話し合うことになった。

だがブライアンは「あんなのはもう無理だ。またあんなふうにツアーに出ることなんてできない」と言ったという。その時の様子を、キースはこう語っている。

「分かった。何週間かしたらもう一度お前の気持ちを確かめに来るよ。その間周りには何て言う? ストーンズを辞めたってことにしとくか?」 そう聞くと、ブライアンは「ああ、そうしよう。そして復帰したくなったらいつでもできるってことにしとくよ」と言った。俺たちは知る必要があったんだ。ブライアンが出ないなら穴を埋める人間を探さなきゃならない。俺たちは早くツアーに出たくてウズウズしてた。


バンドからの脱退問題に悩んでいたブライアンは、ビートルズのジョン・レノンが作った「ジョンとヨーコのバラード」が5月に発売になると、部屋でそのレコードを何度もなんども聴いていたという。


 ちくしょう! まったく楽じゃないぜ
どんなに大変かわかるだろう
世の中どうかしてやがる
僕を磔(はりつけ)にするつもりなんだ


「ジョンとヨーコのバラード」は、ブライアンの心にいくらかでも救いになったのだろうか。

1967年のマジカル・ミステリー・ツアーのセッション中に行われたレコーディングでは、「レット・イット・ビー」のB面曲として発表された「ユー・ノウ・マイ・ネーム(”You Know My Name )」に、ブライアンがサックスで参加するなど、彼らはデビュー時からずっと交友があった。

ジョンはデビューして間もない頃のことを、「ストーンズと非常に親しかったのです。ビートルズのほかのメンバーたちがどの程度に親しくしていたのかは知りませんが、私は、ブライアンやミックたちとよく一緒にに過ごしました。私は二人を敬愛していたのです」と語っている。

しかし、身も心もぼろぼろになっていったブライアンについては、ジョンは正直にこう語っていた。

解体していくにつれて、年とともに変わっていきました。あの男から電話をもらうのは嫌だ、という種類の男がいますね。面倒なこととか、何か嫌な事件などを電話で言ってくる男です。ブライアンは、最後にはそんなふうな男になってしまいました。本当にたくさんの苦痛を抱え込んでいた男です。


ジョンの“解体していく”は、キースの“脆くなっていった”と同じ意味だ。

ブルースが好きで好きで仕方がなかったブライアンはストーンズを脱退しても、何とかしてミュージシャンとして生きていこうとしたいた。ファンキーなバンドを作ろうといろいろなアーティストを自宅に招いて、彼らと話してリハーサルも行なっていた。

ブルースの師匠筋にあたるアレクシス・コーナーとも、死の直前にブライアンのリハーサルにやって来た。

コッチフォード農場を訪れたアレクシスは、ブライアンから新しいバンドの話を聞いて、既に使いものにならなくなっているのを知りながら答えた。

「そうだ、いっしょにやろうぜ。俺とブルースをプレイしよう。だからブライアン、一日も早く元気になるんだ」


しかし、ブライアンが元気を取り戻す日は、二度とやって来ることはなかった。1969年7月3日午前0時ごろ、コッチフォード・ファームの庭にあるプールで水死体となって発見されたのだ。

その死がはたして事故だったのか、自殺だったのか、はたまた他殺だったのか。事実と真実は今もって、明らかになってはいない。


(注)キース・リチャーズの発言は「キース・リチャーズ、かく語りき KEITH RICHARDS ON KEITH RICHARDS」(音楽専科社)、ジョン・レノンの発言は「レノン・リメンバーズ」(草思社)からの引用です。

51JHK7Nlg7L

『ブライアン・ジョーンズ – ストーンズから消えた男』



●この商品の購入はこちらから


●この商品の購入はこちらから

●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[Extra便]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ