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ジョー・ペリー少年時代③〜ローリング・ストーンズやボブ・ディランの洗礼、ついに手にしたエレキギター

2019.01.13

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「そんなに欲しいなら、自分で働いて買いなさい!」


父親は彼にこう言い放った。
チャック・ベリーに憧れ、ビートルズに刺激を受けた彼の頭の中は、とにかく1日も早くエレキギターを手に入れることだけで一杯だった。
中学校でも成績は落ちていく一方で、父親はそんな彼を憂いでいたという。

「俺は親父が望むような優等生にはなれなかった。エレキギターを欲しがって、親をイライラさせ続ける息子だった。とにかくエレキギターが欲しかったから、金を貯めるためにバイトをする決心をしたんだ。最初は草刈りの仕事だった。退屈な作業に耐えられたのは、楽器屋で目に焼き付けたギブソンのイメージのおかげだった。チャック・ベリーの“Almost Grown”を頭の中で弾きながら、大汗をかいてバイトに励んだよ。」



1964年、14歳になった当時の彼にとって人生最大のイベントと言える映画が公開された。
ビートルズ主演の『ビートルがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』がアメリカでも公開されたのだ。

「映画の丸ごと全部が最高だったよ!反抗的な4人の若者が、金切り声を上げる大勢の女の子に追いかけられながら、ステージからホテルへと逃げ回る。4人のアウトサイダーが、音楽、ユーモア、そして自分たちの思い通りの人生を送るという決意によって結ばれる。これこそ俺が求めているものだった。」


映画館を出た時に、彼の頭に浮かんだことはたった一つ!バンドを結成することだった。
バンドをやるならば、やはりエレキギターを手に入れなければ話にならない。
翌日から彼はアルバイトを増やして、とにかくお金を貯めた。
芝生の植え替え、雪かき、グリーティングカードの販売、新聞配達…それでもなかなか目当てのギターを買うための金額には届かなかった。

「ちょうどその頃、俺の好奇心をかきたてたのがローリング・ストーンズの1stアルバムだった。その年に発売された彼らのアルバムは、大半がブルースとR&Bのカヴァーだった。その中にはチャック・ベリーの“Oh Carol”と、ジミー・リチャードの“Honest I Do”も入っていた。ビートルズとは違い、ストーンズは先輩ブルースマンたちのように、自分たちがどんなにギリギリの生活かを歌っていた。彼らが描く世界は、ダークで、ワイルドで、危険な匂いがしたんだ。」




ビートルズ、そしてストーンズに触発された彼は、持っているアコースティックギターを抱えて初めてのバンド“チャイムズ・オブ・フリーダム”を結成した。
バンド名は、ボブ・ディランの曲のタイトルから頂戴したという。
ちょうどその頃、彼はディランにも影響を受け始めていたのだ。

「型破りなボーカルが俺のアンテナに引っかかったんだ。俺には歌が会話しているように聴こえたよ。歌っていると同時に喋っているみたいな。こりゃ本物だってすぐに感じたよ。彼を語る上で一番重要なのは、あのメッセージだ。歌詞を聴く度に、違った意味に聴こえるんだ。音楽をやるにおいて大切なことを学んだよ。うなったり、がなったり、喋ったり、自分流のやり方で歌えばいいってことを。」



バンドのメンバーたちと演奏したのは、ビートルズ、ディラン、チャック・ベリー、バーズの曲だった。
本格的なライブは一度もやらずじまいだったという。
それから一年が経ち…15際になった彼はついに夢を叶えることとなる。
バイトで稼いだお金が貯まり、憧れのエレキギターを購入したのだ。
本当はチャック・ベリーと同じギブソン335が欲しかったのだが…足りない分を親に払ってもらう形だったので、ギブソンよりも安いギルドのスターファイヤー4というモデルで妥協することとなる。

「それでもずっと憧れていた耳をつんざくような高音をついに出せる日が来たと思うと嬉しくてたまらなかったよ。家に帰ってすぐにギターを小さなアンプに繋ぎ、何時間もぶっ通しで弾きまくった。家族はうるさくて気が狂いそうになっていたけど、俺は気にもとめなかった。完璧に陶酔しきってたんだ。」


<引用元・参考文献『ジョー・ペリー自伝~アロスミスと俺の人生~』ジョー・ペリー (著), デヴィッド・リッツ (著), 細川真平 (監修), 森幸子 (翻訳), 前むつみ (翻訳), 渡部潮美 (翻訳), 久保田祐子 (翻訳), 木戸敦子 (翻訳)/ ヤマハミュージックメディア>

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